一九三〇年代後半 「総力戦」体制と朝鮮の小説

藤石 貴代
1996.12.7

朝鮮における一九三〇年代後半の小説史は、当時強圧的に推進された日本の「総力戦」体制を作家がいかに受容し、形象化したかの痕跡を留めている。

ここで、一九三〇年代後半というのは、時間的には一九三五年前後から一九四三年頃までを指す。一九三八年に国民精神総動員朝鮮聯盟が発足し、一九四〇年の近衛「新体制」、翌年一二月の「大東亜戦争」開戦、一九四三年の朝鮮文人報国会の発足・徴兵制実施等、朝鮮が「総力戦」体制に完全に組み込まれていく過程の中で、この期間を一連の精神的・思想的磁場が形成された時期として捉えようとする用語である。

一九三〇年代後半には、ジャーナリズムの隆盛にともない数多くの作家が作品を発表したが、その中でも主軸をなすのが、朝鮮プロレタリア芸術同盟(略称KAPF)に所属した李箕永・韓雪野・金南天等のプロレタリア作家たちであった。

一九三四年六月、KAPFに対する二度目の大規模な検挙が始まり、同盟員の逮捕・収監を経て、翌年五月にKAPFが解散、同年一二月に大部分が執行猶予で釈放されると、「まず食べて暮らしていかねばならぬという実際的な生活のために、職業に忠実でなければならぬ世俗的な人間になること」に対する葛藤を描いた作品が、一九三六年初頭から現れはじめた。韓国の研究ではこれらを「転向小説」として扱い、日本での転向及び転向文学の定義に沿って作品の分類を行っている。(北朝鮮においては、金南天・林和など、KAPFの重要な作家たちが一九五三年に「米帝スパイ」として粛清されており、近年刊行された『朝鮮文学史』にも転向文学についての記述は無い)

しかし、共産主義(運動)の放棄、即ち「小林多喜二の線からの離脱」が転向であると見なされた日本と、共産主義はあくまで民族独立のための手段であった朝鮮とでは、当然その「転向」概念に相違があったはずである。報告者は、日本の「総力戦」体制・「大東亜共栄圏」思想への同調が朝鮮では「転向」を意味すること、そして、主としてKAPF系列の作家の作品を通して、登場人物の(1)日常生活への復帰/そこからの逃亡、搾取者となることの拒否/生活のための妥協、(2)「総力戦」体制への同調/拒否、(3)「大東亜共栄圏」思想への共感/批判、等が、「転向」の様々な心理状態として描写されていることを指摘した。(1)(2)(3)は重なりあいながらも「転向」概念の時期的な変化を示していると思われる。

その中でも、(1)一九三八年七月の「時局対応全鮮思想報国聯盟」の結成以後、対日協力としての「転向」が顕著となった点、(2)鄭飛石の短編「三代」は、従来、ファシズムの台頭に動揺する知識人の苦悶を表現した作品として評価されてきたが、転向者の兄を嘲笑する弟の世代を登場させることで、熱狂による生理的陶酔というファシズムへの欲望をも描写している点、(3)日本的な私小説を拒否し、「典型的環境のもとにおける典型的人物」の創造を追求したKAPF系作家の中で、最終的に日常的世界へ「後退」したとされる金南天の作品が、作者が自分自身との対話を継続することで、虚偽の「大東亜共栄」的世界への違和感を維持し続けようとした積極的な「忍従」の意義を持つ点、等を指摘することで、朝鮮の「転向」文学に対する新しい視点を提示しようと試みた。


第6号目次