戴季陶「我が日本観」から『日本論』への一考察

兪 慰剛
1996.3.24

戴季陶は私費留学生、孫文の秘書そして国民党高官として、日本と深く接触した人物である。1919年に彼は「我が日本観」を発表した。1927年、彼は国民党の代表として日本に訪問し、帰国後、『日本論』を著した。そこには日本に対する期待を込めた肯定的な評価と同時に、田中義一に対する厳しい批判が表した。
『日本論』の評価については次の三点を挙げられる。1、中国側の学者には、彼の明治維新観・軍国主義観と日本の社会を客観的な考察を評価する。2、日本の学者は、戴季陶の尚武精神の衰えたゆえに軍国主義へと発展、日本論からの中国論及び国家民族との関係論を高く評価する。3、台湾の学者は彼の日本観は体験に基づいて、深くて体系的で一貫性があると評価している。

本論は以上の成果を踏まえて、「我が日本観」と『日本論』に表れた彼の日本観の変化を探る。この変化は主に以下の三点を挙げることができる。其の一は日本民族の長所と短所に対する認識である。即ち日本民族は「日本への迷信」があると同時に、民族の自尊心も強めている。自尊心こそが民族発展の基礎であると彼は『日本論』で認めた。其の二は明治維新に対する認識の変化である。彼は「我が日本観」で人道主義の観点から明治維新の進歩性を認めたが、『日本論』では明治維新を民族に共通した信仰と時代の切実な要求から分析して、日本民族の統一的発展能力を高く評価した。そして、明治維新の成功により日本は大陸侵略への道に乗り出したという二元論的理解をも示した。其の三はコスモポリタンからナショナリズムへの転換である。彼は「我が日本観」で、日本の将来に社会主義への道を期待し、中日友好と日本への支援を望んでいるが、『日本論』では日本軍国主義を批判しながら中華民族の自尊心を提唱し、中国の将来を蒋介石に期待した。

以上、戴季陶の「我が日本観」から『日本論』への日本観の変化を論じたが、そこの残された日本の社会問題、日本人の民族性など問題を残して今度の研究課対としたい。


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