楽書巻第八

礼記訓義

楽記(008-03)

故礼以道其志.楽以和其声.政以一其行.刑以防其姦.礼楽刑政.其極一也.所以同民心而出治道也.

聖人は「易」において「謙」で礼を定め,「豫」で楽を作り,「賁」でまつりごとを明らかにし,「豊」で刑罰を完成した(註1)。つまり礼楽は政刑の根本で,政刑は礼楽の補助である。これらによって古人は民心をひとつにまとめて大平の世を実現した。天下を一家のようにし,中国を一人の人間のように統一する手段は,「挙げてこれを錯く」(礼楽を完全に実施する)(註2)にまさるものはない。もしも姦声が人を動かして逆気が反応し,その逆気が形となると淫楽が興る。正しい声が人を動かして順気が反応し,その順気が形となると和楽が興る。だから先王が音楽を作るさいにはかならず人を動かす原因を慎重に扱った。だから礼が外から作用して,内面の人の意志を正しく誘導し,楽が内面に作用して人の声を正しく調和させ,政治で人々のばらばらな行為を統一し,刑罰で道に外れた悪事を防いだ。これが人を動かす原因を慎重にする手段である。その目的は,民の心をひとつにして悖逆詐偽の心が無いようにし,大平の世を実現して民に淫佚作乱の行ないが無いようにすることだ。これが人を動かす原因を慎重にする効果だ。「易」に「聖人は人を感ぜしめて天下は和平」とあるのは,こういったことにもとづくのだろう。

楽記のここの箇所は,人の心が物に感じて動くがために先王はその感じさせる原因を慎重に扱い,礼楽政刑によって大平を実現したことを述べている。下文では(註3),人間の好悪には節度が無いので先王は人ごとに節度を設け,礼楽政刑によって王道を実現したことを述べている。両者で補完しあうのだ。

樂書巻第八終わり。


訳註

  1. 『易』の謙・豫・賁・豊の四卦の文にもとづく。「謙」では謙譲の徳の重要性が説かれる。「豫」では「雷が地を出でて奮うのが豫。先王はこれにもとづいて音楽を作って道徳を高め,音楽を上帝に捧げ,合わせて先祖を祭った」(象伝)という。「賁」では「山の下に火があるのが賁。君子はこれによって政治を明らかにする」(象伝)という。「豊」では「雷電がともに至るのが豊である。君子はこれによって訴訟を裁き刑を執行する」という。

  2. 「挙げてこれを錯く」。「楽記」(楽化章)にもとづく。「礼楽の道を致し,挙げて之を天下に錯けば,難きこと無し。」(礼楽の道を充分に治めて,それを完全に天下に施せば,政治は容易である。)

  3. 「下文では」。「夫れ物の人を感ずること窮まりなく,人の好惡に節なし....是の故に先王の礼楽を制するや,人ごとにこれが節を為し....」を指す。物が人を感じさせることには限度が無く,人の欲望にも節度が無いので,放置すると「悖逆詐偽の心」「淫佚作乱の事」が発生する。それゆえ先王は礼楽を定めるにあたって,人ごとに適切な礼楽の等差を設定した,と述べる。


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kodama noriaki
faculty of humanities, niigata university

1999.6.17-1999.9.19