候気第十
気を観測する技法は、三重の部屋を作り、扉は閉じ、壁の隙間をしっかりと塗り固め、室内に赤い絹布を敷く。木で机を作り、律管ごとに机を一脚とし、内側を低く、外側を高く、方位に従って並べる。律管をその上に置き、葦を焼いた灰を管の一端に詰め、絹布で管を覆う。暦を参照してこれを観察する。気が到来すると灰が吹かれて布が動く。少し動くのは気が調和している状態で、大きく動くのは君主が弱く臣下が強く専政がおこなわれていることの現れである。動かないのは君主が峻厳剛猛であることの現れである(*)。
気の昇降の数値は以下のとおり。
- 冬至 黄鐘九寸 (昇五分一釐三毫(*))
- 大寒 大呂八寸三分七釐六毫 (昇升三分七釐六毫)
- 雨水 太簇八寸 (昇四分五釐一毫六糸)
- 春分 夾鐘七寸四分三釐七毫三糸 (昇三分三釐七毫三糸)
- 穀雨 姑洗七寸一分 (昇四分五毫四糸三忽)
- 小満 仲呂六寸五分八釐三毫四糸六忽 (昇三分三毫四糸六忽)
- 夏至 蕤賓六寸二分八釐 (昇二分八釐)
- 大暑 林鐘六寸 (昇三分三釐四毫)
- 処暑 夷則五寸五分五釐五毫 (昇二分五釐五毫)
- 秋分 南呂五寸三分 (昇三分四毫一糸)
- 霜降 無射四寸八分八釐四毫八糸 (昇二分二釐四毫八糸)
- 小雪 応鐘四寸六分六釐
按ずるに、陽気は〈復〉卦で生まれ、陰気は〈姤〉卦で生まれ(*)、円環に末端がないように循環する。いっぽう律呂の数の三分損益の計算は、終了すると初めに戻らないが、なぜか。それはこうだ。陽気の上昇は〔十二支の〕〈子〉に始まり、〈午〉に至ると陰気が発生するが、陽気の上昇はまだ終らない。〈亥〉に至って上限となり、下降する。陰気の上昇は〈午〉に始まり、〈子〉に至ると陽気が発生するが、陰気の上昇はまだ終らない。〈巳〉に至って上限となり、下降する。音律は「陰」に関しては記述しないので、終了すると初めに戻らないのである。このため陽気の上昇の数値は、〈子〉から〈巳〉までは総じて大きいが、律(黄鐘・太簇・姑洗)で最も大きく、呂(大呂・夾鐘・仲呂)ではやや小さい(*)。〈午〉から〈亥〉までは総じて小さいが、律(蕤賓・夷則・無射)では最も小さく、呂(林鐘・南呂)ではやや大きい(*)。上昇の数値は均等ではないが、その詳細な数値にはそれぞれ理論の裏付けがあるのだ。気が灰を飛ばし、音響が〈律〉に合う理由である。
こういう疑問があろう。「易」は〈陰〉と〈陽〉を述べるのに「音律」が〈陰〉を記述しないのはなぜか、と。それはこういうわけである。「易」は天下のあらゆる変動を述べ尽くし、善も悪もすべてを備えているが、「音律」は〈中〉と〈和〉の作用を極限にまで推し進めて(*)完全な善に至る(*)ものだからである。音響について述べるなら、大は雷鳴から小は蚊のような小虫まで、音響でないものはない。「易」には備わらない事象はないが、「音律」はいわゆる〈黄鐘〉ただひとつを論じているのである。〈十二律〉や〈六十律〉というが、実は〈黄鐘一律〉にほかならない。つまりは〈理〉である。音響にあっては「中声」、気にあっては「中気」、人にあっては喜怒哀楽の発現しない状態と発現した状態のちょうど節度にかなった「中節」である(*)。これは聖人が天と人とをひとつにして造化育成を賛助する(*)ための道である。
→原文