新潟大学人文学部

林和靖の文学
−いかにして「平澹邃美」の詩風を得たのかを探る−

伊藤 琢司(新潟大学人文学部)

構成

  1. はじめに
  2. 林逋の隠遁生活と「平澹邃美」
    1. 林逋の生活と「病」
    2. 林逋の性格と隠遁の決意
  3. 「梅妻鶴子」の詩と「平澹邃美」
    1. 飼っていた動物を詠んだ詩
    2. 「梅」を詠んだ詩
    3. 林逋と白居易
  4. まとめ

要旨

北宋の詩人である林逋は、西湖のほとりで隠遁生活を送り、終身仕えることがなかった。彼は妻を娶らず、子もなく、梅と鶴を愛したことで知られていた。また、彼は詩によって名声を得、後世に名を残そうという意思はなく、詩が出来上がると、それを破り捨ててしまったといわれている。

梅堯臣は林逋の詩を「平澹邃美」という言葉であらわしている。本論では彼の実際の詩に即して、「平澹邃美」と評された作風について考察し、さらに彼の性格やその暮らしぶりからそのような作風を身につけるに至った背景を探った。 林逋は若い頃から悩まされつづけた病や性格が災いし、若い頃抱いていた志を捨て、隠遁の道を選んだ。隠遁生活を始めた林逋は、日々の暮らしに必要なこと以外の雑事に心を悩ますことなく、趣味や親しい友人との交遊を楽しみ、その中で心動かされたものを詠むことに専心した。

林逋は書画に巧みであり、その作品にお金を払い、また彼に対し様々な援助を行う者がいた。それは病の影響もあって仕官だけでなく農作業も満足にできなかった林逋にとって、隠遁生活を送っていく上での大きな助けとなった。それにより、林逋は自分にとって興味を持てることだけに目を向けて暮らし、それを詩に詠むことができた。 「平澹邃美」と評された林逋の作風。彼がその境地に至ることができたのは、このような隠遁生活と、それを支える恵まれた環境の中で詩を詠むことができたためであり、またその詩が誰かに認められようとするものではなく、ごく個人的な目的によるものであったことが大きかった。国家の大事や人民の苦しみなどといったことに目を向けることなく、さらには仕官のためや後世に名を残すためにでもなく、ただ自分の興味の赴くままに自分のための詩を詠んだことこそが、彼の良さを最大限に引き出す大きな要因となったと考えられる。


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