新潟大学人文学部

中国の日本人戦犯政策

小林 由美子(新潟大学人文学部)

本論文は中国の日本人戦犯政策について考察したものである。本論文で検討する戦犯政策とは、日中15年戦争、国共内戦における戦争犯罪者の処理政策のことである。日本人戦犯には、(1)敗戦後、中国や朝鮮でソ連軍によって逮捕された「満洲国」(以下カッコ省略)官僚と軍人で、1950年7月戦犯として中国に引き渡された者、(2)日本の敗戦後も山西省に残留して国民党軍に協力・参戦し、共産党軍によって逮捕された者がいた。これらの日本人戦犯は、戦犯となった経緯と性質の違いによって撫順と太原の2ヶ所の戦犯管理所に分けて収容された。

戦犯や戦犯管理に携わった人たちは多くの回想録や体験記を残している。その大部分は中国の戦犯政策を美化し、賛美しているが、戦犯処理という名目の下での拘禁という非日常性と、その環境の中で起こりうる現象を考慮し、その特殊性を明らかにして分析する必要があると考える。

第一章では撫順戦犯管理所で行われた戦犯に対する「改造」について考察した。指導部の政治的判断によって出された方針に従って、管理所では戦犯に対して人道的な処遇が与えられた。管理所は戦犯たちに「坦白」(自発的告発)を求め、認罪教育を行った。戦犯たちの認罪は、回想録等によると「自発的」であったという。しかし、戦犯として拘禁されているという状況自体が一定の強制力、圧力として働いていたことは否めない。どれほどの人が真に罪を自覚したかは計ることはできないが、6年に渡る一貫した思想教育と認罪学習を経て、すべての戦犯が中国側の認識に立って認罪の姿勢を示した。これは、中国政府の政策による感化が戦犯の認罪意識の変化に大きな作用をもたらし、また戦犯たち自身が努力した成果である。

第二章では中華人民共和国の戦犯裁判を考察した。中国政府が下した日本人戦犯処理の「決定」に基づいて、大部分の戦犯は起訴を免除された。裁判では日本の侵略戦争や侵略政策に関しては厳しく言及されたが、訴追された戦犯たちも死刑と無期刑はなく、寛大に処理された。国際情勢を鑑みて、日中国交正常化が重要な課題であり、日中間の関係の発展と戦犯たちの認罪態度の変化が考慮されたためである。裁判はある程度の「公正性」が保たれ、各案件は証拠によって裏付けられていた。また、被告人が一貫してすべての自己の犯罪事実を認め、謝罪したことは、他国の戦犯裁判と異なる。

第三章では連合国の戦犯裁判、特に中華民国の戦犯政策に注目し、中華人民共和国の戦犯処理と比較した。連合国や中華民国の裁判は、証拠に基づいたものではなく、報復的要素が指摘できる。冤罪も多く生まれたという状況を考慮に入れる必要があるにしても、これらの戦犯の態度は刑の不当性を主張し、自己弁護に終始する傾向が見られる点で、中国の戦犯たちの当初の思考と重なる。中国の戦犯だけが認罪態度を示したことから、中国の戦犯政策の特殊性と有効性を明らかにした。また、戦犯たちは帰国後、「中国帰還者連絡会」を創立し、具体的な反戦平和活動と日中友好活動を行った。これらの活動はさほどの効果をあげることはなかったが、40年以上に渡って継続された点で評価でき、またそれは中国の戦犯政策がもたらした成果であるといえる。


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