新潟大学人文学部

植民地期における朝鮮人の渡日動向
−戦前期における女性の渡日について−

伊藤 京子(新潟大学人文学部)

在日朝鮮人問題を考察する際にはなによりも在日朝鮮人の歴史的形成過程を知る必要がある。身近な存在でありながらこれまで深く顧みることのなかった「在日朝鮮人がなぜ日本へやってきたのか」を明らかにすることで、「在日朝鮮人とは何か」という問いに自分なりの回答をみつけたいと思ったのがこのテーマを選んだ動機である。

第一章では、植民地期における在日朝鮮人の人口推移の概要を参考文献と人口統計資料によりつつ整理し、朝鮮人の日本渡航がいかなる経緯で拡大したのか、その変遷を概観した。日本では、「韓国併合」以前にも各地の土木工事現場や炭坑などの第一次産業分野で朝鮮人労働者の存在が確認されたが、朝鮮から日本への移民は植民地下の第一次世界大戦好況期において本格化した。こうした背景には、大戦により原料の輸入困難や供給力増加がもたらされた日本の工業分野で、国内で不足した低賃金労働力を植民地労働力で補おうと積極的に誘致する動きがあったためであった。在留朝鮮人人口の増加を受け、朝鮮総督府と内務省警保局は段階的な渡航管理政策を展開したが、統計にみえる渡日者数は年を追うごとに増加していた。とりわけ度重なる日本の植民地農業政策により生活の基盤を失った農民層の男性が、家族を養うため単身労働者として日本へと向かうケースが多かった。

これをふまえて、第二章では、先行研究で女性の渡日に視座をおいたものが少ないことを言及し、日本政府官庁史料や各府県・朝鮮総督府当局の社会調査資料等をみながら渡日女性の特質を考察した。戦前期における朝鮮女性の渡航および帰還状況をはじめ、女性の出身地および在留地、渡航形態の変化や定住化様相を検討することで、以下のような特徴が得られた。女性渡航の先駆をなしたのは、1910年代半ば日本企業による朝鮮現地での労働者「募集」により渡日した女工たちであった。当時の女性在留人口は男性に比べるとごくわずかであった。しかし、染織工業の一端を支えた初期女性労働者たちは、廉価な労働力に加えてその就業態度、成績がよいことから内地企業に広く受け入れられ、新規朝鮮人労働者の呼び水としての役割を果たしていたことがわかった。また、女性の渡日が本格化したのは、1920年代後半〜30年初頭と考えられ、その形態は単身出稼ぎ労働者や親戚の呼び寄せによるものが大半を占めた。さらに、社会調査資料からは1920年代に初渡航を果たした女性が多いのに対し、渡航・帰還を複数回繰り返す渡日男性の「移動性」の高さもみられた。

卒業論文では、在日朝鮮人形成史の変遷を概観することに偏ってしまい、踏み込んだ渡日の実態や渡日者の生活・労働史といった事例をみることまで出来なかったことが反省点であるが、今日の課題として残された「在日朝鮮人問題」を日本社会にある日本人の問題として捉え、今後の行方についても関心を持って考えていきたい。


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