新潟大学人文学部

九雲夢研究
−なぜ八人なのか−

高桑 未帆(新潟大学人文学部)

1443年、世宗(在位1418〜50)によって訓民正音が完成する。それから約240年後の1687年、政争により平安北道宣川へ流された金萬重(1637〜92)によって「九雲夢」は書かれた。さらに1689年、萬重は再び島流しに遭い、流刑地の南海で1692年、世を去った。この地で粛宗(在位1674〜1720)が王妃閔氏を廃位し、宮女張氏を迎えたという噂を聞き、王に対する忠諫の意を込めた風刺小説、「謝氏南征記」(1692)を書いた。本稿では金萬重の作品のうち、「九雲夢」について考察した。「九雲夢」の底本について紹介すると、漢文本と国文本が存在しているが、どちらが先に書かれたのかはまだ解明されていない。本稿では、冒頭の章題が一致していることから、底本として漢文本は老尊本を用い、国文本はソウル大本を用いた。あわせて鄭炳昱ほか校注訳『九雲夢』(民衆書館 1972)を参照した。

あらすじは、僧である性真が八人の仙女と出会い、俗世を欽慕したことを師匠である六観大師が察し、罰として性真と八仙女を人間界に落とす(実際には大師の術により夢を見ている)。性真は楊少游として生まれ変わり、九人は俗世で栄耀栄華を極める。しかし最終的にこの世の儚さを悟り、夢から覚めた後は、皆仏門に励んだというストーリーだ。

本稿では、「九雲夢」に内包されている思想についての諸説と、なぜ八人の女性が登場するのかについて考察してきた。八人の女性の必要性は、染谷(2004)の論を参考にした。染谷は、楊少游(性真)と八仙女との交遊という一対八の図式化により、密教系の曼荼羅に登場する一人の中心仏⇔八人の菩薩の図式化を連想し、「九雲夢」と曼荼羅との関係について 示唆している。例えば、曼荼羅の天女八人は、「九雲夢」の仙女八人に人数が対応している点や、曼荼羅の天女八人が、歌や舞で仏を供養するところと、「九雲夢」の八仙女が、それぞれの特技と美貌によって楊少游と結ばれる共通点などが挙げられる。また、当時の一夫多妻制では数人の女性をめとることは不思議ではない。「九雲夢」では、その一夫多妻制により、九人が様々なところで様々な事件に直面するからこそ、ストーリーに面白みが増す。そして彼女らと円満に暮らすことによって、楊少游の人生は完成されていく。染谷の主張通り、俗の肯定・欲望の肯定によってそれを乗り越えようとする密教の教えは、大師の教えに当てはまるかもしれない。大師が性真に俗を経験させたからこそ、「九雲夢」のストーリーが展開されるのであろう。以上から、「九雲夢」の仙女がなぜ八人なのかは、染谷の論をもとに、曼荼羅の天女八人をモデルにしたからなのではないかと考えた。

次に、性真と楊少游についての記述の分量を比べると、楊少游の人生の方が多い。楊少游の人生を長く記述することによって、性真が夢の中で楊少游として長い間生きてきたことを意味するのではないか。反対に性真の人生の記述が短いということは、彼がまだ年若く、長く生きていないことを暗示しているとも取れる。そして、読者にとって少游の記述が長い分、夢から覚めたときは本当に夢であったのかと疑いを持ってしまうほど、自分も楊少游になりきってしまうという効果が期待出来る。それが筆者の発見である。


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