新潟大学人文学部

日中両国の歴史教科書をめぐる諸問題

加藤 俊一(新潟大学人文学部)

本論文では、まず第1章で日本の歴史教科書問題について考察した。日本の歴史教科書記述が日中外交問題に発展したのは1982年のいわゆる「教科書誤報事件」からである。中国側から指摘した問題点は、「侵略」という表現を「進出」に変えたことなどであった。この事件は新聞各紙の誤報によって外交問題に発展した事件であったが、この事件によって、日本政府が教科書検定の際に「侵略」と言う表現に検定を付さないといったことなどが、教科書検定基準に付け加えられた。その後1986年には、「日本を守る国民会議」による『新編日本史』と題した高校生用の日本史教科書が、中国側の批判を受け、文部省から修正を指示された。指示内容は「南京事件」を「南京大虐殺」に書き直すこと、日中戦争の記述に「侵略」と付け加えるということなどであった。2001年には「新しい歴史教科書をつくる会」版の、中学歴史と公民の教科書が検定合格となった。「自虐史観」の克服を掲げた教科書であった。『新しい歴史教科書』には明らかに戦争行為を肯定している文章が見られ、これに対し中国側は日本側に教科書問題に関する覚書を提出したのであった。

第2章では、中国側が日本の歴史教科書に対して行った是正要求箇所の記述を、中国の歴史教科書がどのように記述しているのかについて考察した。中国の歴史教科書では満州事変(九・一八事変)、盧溝橋事件のどちらの単元においても、事件は日本軍による侵略行為であったとしている。日本の教科書誤報事件の際、列強は「進出」で日本は「侵略」という記述は問題であるとし、文部省はそれを統一するためには「進出」という表現が客観的だと述べた。この「進出」という表現に対して中国が是正要求を行ったというのは、中国の歴史教科書の記述からは当然のことであると考えられる。南京虐殺の犠牲者数は、どの教科書も「30万人以上」で統一されている。この犠牲者数については日本国内では盛んに議論がなされている。中国人にとって「30万人」の否定は、南京虐殺の否定になるというのである。南京虐殺における犠牲者数の問題は、日中両国の相互歴史認識理解において大きな障害となっており、また、中国の歴史教科書におけるあまりにも残虐な記述、写真なども、日本に対して恨みや憎しみを必要以上に子供たちに植え付け、日中相互理解の障害となっている。

第3章では歴史教科書の記述の根底に存在する日中両国の歴史認識の違いについて考察した。日中間で起きた戦争では、日本と中国はその戦争の歴史を共有した。しかし、日本と中国、どちらの立場にいるかによって、「被害者」、「加害者」という意識は正反対のものとなる。しかし日中両国では「被害者意識」は同じ対象に向かっていないのである。日中両国が、お互いの「感情」を理解することは非常に困難である。その理由は、日本も中国も、相手の身体経験を直接経験することができないからである。しかし両国に共通しているのは「被害者意識」を持つ点である。日中間の共通の歴史認識を持つためには、長い時間がかかるだろうが、日中間がお互いの意識を話し合う機会が増えていけば、徐々にお互いの歴史認識を理解できるようになるのではないだろうか。


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