新潟大学人文学部

「満洲国」期における農村社会の変容
−屯の自治性と結合力の検討−

小森 暁生(新潟大学人文学部)

本論文は、1932年3月から1945年8月まで、中国東北部に存在した日本の傀儡国家、「満洲国」における農村社会について論じたものである。ここでは、満洲農村の結合力は弱いという先行研究の意見を再検討した。特に漢民族の農村部落(満洲では約20〜50戸ほどの農村部落を「屯」と称した)の自治性と結合力に焦点をあて、考察を加えた。その際、1930年代に満鉄や満洲国などによって行われた農村調査報告書を中心に活用した。

まず自治性と満洲国の地方行政制度の関連を検討した。そして地方行政の自治性を持つ組織を検討し、特に組織の性格や、行政による関与の深度について考察を加えた。次に、満洲農村を特徴付けている階層社会の構造を明らかにし、満洲農村における地縁、血縁による農村の結合力の強さを検討した。

満洲国の地方行政構造や、保甲制度から検討した結果、満洲国期の農村社会には、地方の有力者(地主や富農などのこと。彼らは大土地所有による優越だけでなく、農民の生活により密着した形で農村社会において、絶大な力を握っていた)による支配という形で、ある程度の自治性が存在していた。その程度は、解放後の土地改革がなされた時代とは比べるべくもないが、中華民国時代よりは弱まっている。これは行政の深度が、満洲国によって農村まで深められたためである。しかし農村の持つ自治性、言い換えると地方有力者による農村支配は、満洲国の農業政策(合作社政策、農産物統制政策など)において、大きな障害となった。

満洲農村社会の結合力は決して強固なものではなかったが、地縁的関係よりは血縁的関係を中心として存在していた。血縁的結合力は同族関係(同じ姓を持つ一族)に留まり、親戚関係(傍系の親族)になるとその力を発揮することはなかった。この血縁的結合力は、同族関係を有する人々が多いほど強い力を発揮しており、屯の形成期において特に強かった。満洲国の時代は、屯の形成期よりも後の時代であり、血縁的結合が弱まっていく時代でもあった

屯の自治性および結合力は、中華民国期における屯の形成期や、同姓農村部落では最も力を発揮していた。満洲国期になると行政の浸透により、自治性は弱められた。農業恐慌、移民の流入により、雇農の移動が激しくなった。そのため同族農村部落は少なくなり、また結合力は弱まったが、そこには血縁的結合を中心とした結合が存在したのである。


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