新潟大学人文学部

地方新聞が伝えた韓国併合
―新潟県の新聞を検討して―

北澤 文(新潟大学人文学部)

1910年8月29日に「韓国併合に関する条約」が公布される。日本の新聞各紙は公布を前後して併合祝賀キャンペーンを展開した。山中速人と姜東鎮はそれぞれ論文と著作の中で当時の全国紙の韓国併合報道にふれている。山中は朝鮮に関する紹介記事を日本の「観光ジャーナリズム」の原形と指摘し、また新聞が紙面で展開した「併合を正当化、合理化するレトリック 」に欧米帝国主義の立場からの論理とアジア・ナショナリズムからの論理の二つの軸が存在すると述べている。一方姜はこの時期、全国主要紙の社説論調から9種類の内容が抽出できるとしてその中の「(1)日韓併合正当化論」をさらに8パターンに分類している。このように全国紙における韓国併合報道に関しては研究が行われているが、地方新聞を考察したものはない。そこで本稿は新潟県内で発行されていた『新潟新聞』『新潟毎日新聞』『高田日報』『佐渡新聞』の四紙を用い、これらがどのように韓国併合を伝えたのか、論説・署名入り記事・談話者名入り記事の論調、広告や投書に注目して検討した。

第1章では近代新潟県の新聞の概要を『新潟県史』や各市町村史を参考にまとめ、第2章から第4章では併合前、併合公布直前直後、併合後に分け論調を考察した。

併合前の時期は各紙とも無署名一般記事は統監の動向等政府の動きを伝えるものがほとんどで論説や談話記事等はあまりみられない。併合公布直前直後は新潟県の新聞も全国紙同様に併合祝賀キャンペーンを展開した。この時期、ほとんどの新聞が市町村主催の祝賀行事の連絡を紙面で行い、各紙とも韓国併合を政治的な出来事としてだけでなく民衆の出来事としても伝えている。併合後には記事数が急激に減り、今後の朝鮮統治や朝鮮半島への移民募集の記事等、従来みられなかった内容が登場している。

今回、韓国併合を伝える紙面を検討しながら不自然に感じる点が多くあった。まず併合される側の状況を伝える記事が無かったこと、また併合後の統治にほとんどの新聞が楽観的な見通しをもっていたこと、主張のすべてが朝鮮半島を日本の植民地とすることを前提にしていたこと等が挙げられる。また新聞各紙とも様々な形で韓国併合祝賀ムードを煽り、読者や県民を巻き込んでいた。新聞が政治的な出来事であった韓国併合を民衆の出来事として読者に伝えたといえるのではないだろうか。

山中が指摘した全国紙にみられる「併合を正当化、合理化するためのレトリック」は新潟県の新聞にもみられた。全体を通して新潟県の新聞は韓国併合を民衆の祝賀すべき出来事として読者に伝えていた。併合が日本の侵略の帰結であることを隠したという意味では、そのような伝え方自体が大きな「併合を正当化、合理化するためのレトリック」であったように思う。最後に本稿には反省点が多くある。特に全国紙との比較がきちんとできなかった点、新聞の購読者層への視点が無かった点、当時の新聞の報道体制を明らかにできなかったことが挙げられる。今後の課題にしたい。


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