新潟大学人文学部

林海音『城南旧事』研究

大岡 こずえ(新潟大学人文学部)

『城南旧事』は、自伝的要素の強い作品で、彼女の代表作として知られている。物語にはたくさんの登場人物が存在するが、とりわけ封建的な社会で悲しい運命に翻弄される女性が多い。林海音は、そのような女性たちが置かれていた社会的立場をどのように捉えていたのか。また、そのような女性たちに対して、どのような感情を抱いていたのか。本論文では、『城南旧事』を中心に読み解くことで、林海音が作家活動を通して伝えようとしたメッセージを考察した。

物語の主人公は、英子で、作者の林海音をモデルにしている。英子が7歳の少女から13歳になるまでの成長の様子が描かれており、「冬の太陽・幼年時代・ラクダの行列」の短い散文の後に、5つの短編小説をつなげた構成となっている。これらの各編は、それぞれを独立した短編小説とみなすことが出来るが、英子が北京に移り住んでから小学校を卒業するまでに体験した出来事を、5つの区分に分けて構成した長編小説としてとらえることも可能である。

「恵安館」では、今までの慣習にとらわれすぎたばかりに、未婚で出産することへの罪を恐れ、母から生まれた子供を引き離し捨てるという行為が当然のように行なわれていた。恋人に捨てられたことと、二人の間に出来た娘が捨てられたことを知った秀貞は、現実逃避のために「瘋子(気違い)」となった。「妾の蘭さん」で、蘭さんは、病気の兄のために3歳で母に売られ、花街で働き、43歳も年の離れた男の妾として辛い人生を歩んできた。彼女を苦しめていたのは、封建的な家制度であったが、比較的上流階級の生活をしていた英子の母も、同じように封建的な思想の元で苦しんでいた。「ロバが転がり回る」では、間抜けなロバに形容された宋媽の夫は、彼女が乳母として働きに行っている間、彼女に何の相談もなく娘を捨ててしまった。捨てたのは、娘は育てるのにお金がかかる上に、力がなくて農作業をさせても元がとれないという理由からであった。宋媽は、夫を恨むが、離婚することも再婚することも難しい環境だったため、結局はその夫と共に田舎に帰って行った。

しかし、慣習にとらわれない子供を主人公として用いることで別の捉え方も出来る。英子の視点から捉えなおすと、秀貞は、良き遊び相手であり、子供想いの優しい母でもあった。人からは「瘋子」として恐れられていたが、時に女性らしさや人間らしさが表現されていた。蘭さんは、柔軟かつ精神力の強い女性として描かれていた。一方で、英子の母は、従順で優しい母として描かれていた。宋媽は、じつに豊富な知恵をもっており、自分の運命を受け止めて力強く生き抜いていく姿として描かれていた。

林海音は、当時の女性が確かに封建的な社会での地位の低さによって、悲しい運命に翻弄されていたことを描いている。しかし、作品に登場する女性に共通しているのは、そのような運命に直面した時でも、強くたくましく生き抜く姿勢を見せている点である。これこそが、林海音が作品を通して伝えようとした女性の姿ではないだろうか。


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