新潟大学人文学部

遅子建『北極村童話』研究

安達 文子(新潟大学人文学部)

遅子建は、1964年中国黒竜江省の最北端である漠河の北極村の小学校教師の家庭に産まれた。漠河は黒竜江省北部の大興安嶺地区にあり、そこに辺鄙で小さな鎮、漠河鎮がある。中国の最北端にあるこの鎮は古くから“北極村”と呼ばれている。北緯53度に位置し、夏は白夜、冬は極光を見ることのできる地域である。1983年に創作を開始し、1984年、大興安嶺師範学院在学中に処女作『那丢失的……』を発表した後、学院を卒業し、しばらく教師をしていたが『北極村童話』を発表した後、西北大学作家班、北京師範大学、魯迅大学院研究生班にて創作を学び、その後黒竜江省の作家協会で仕事を始め、現在に至る。現在は黒竜江省作家協会専業作家および中国作家協会会員である。私は自身の黒竜江省に留学したという経験から、遅子建の描く極寒の地で力強く生きる人々、そして色彩鮮やかな自然描写に興味を抱き、論文のテーマとした。

第一章では、少女と老婦の関係が軸となって描かれる「沈睡的大固其固」、「北極村童話」「苦婆」に登場する老婦達について、彼女達の作中での役割は何なのかを検討した。遅子建はこれらの作中全てで老婦の死を描き、その死、境遇などには悲壮感がただよっている。しかし、遅子建は老婦達と少女を同時に描くことで人間の死よりも生をより引き立たせ、新しい世代への希望を描こうとしている。

第二章では、遅子建作品に見る中国東北地方の豊かな自然描写について考察した。その中でも特に雪、月、星、河についてこの章では取り上げた。彼女の描く自然は擬人化されることが多く、単なる自然という枠組みを超えて人間を見守り寄り添う存在として描かれており、遅子建にとって自然が特別な存在だったことがわかる。

『北極村童話』には、運命に翻弄される人々や、死が頻出する。また、結婚や男女関係にも失望を描いているものが多い。人間の本性の悪い部分が描かれたり、それらに対して遅子建は人間への失望を感じているようである。

しかし、『北極村童話』には人間に対する失望だけではなく、希望もこめられている。第一章で考察した老婦たちの傍には、未来のある少女たちが存在する。老婦たちがこの世を去っても、少女たちの中には老婦たちが生きた証がはっきりと残っていて、若い世代へと受け継がれていくのである。彼女の描く子供は大人たちとは違う道を切り開いていく存在だ。

『北極村童話』には全体的に人間の暗い側面が描かれている。しかし、遅子建が本当に書きたかったのはそのような境遇にあっても雪のように純粋な心をもち、月や星のように輝こうとする強さをもって自然とともに生きる人々の姿ではないだろうか。


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