新潟大学人文学部

安禄山集団の構造と性格について

原田 由政(新潟大学人文学部)

安史の乱は、天宝14載(755年)、幽州において、安禄山が挙兵したことではじまった。宝応2年(763年)、唐王朝はウイグルの援助を受け、安史の乱の鎮圧に成功するもこれ以後、弱体化の道を歩むことになった。

先行研究において安史の乱は、専制君主との私的な癒着を指摘した栗原氏や、節度使とその部下との関係を「一種の徒党関係」と指摘した堀氏、安史の乱の性格について検討した谷川氏等によって説明されてきた。近年では、「外寇」や「非漢族」といった観点から安史の乱は扱われ、安禄山集団内の構成員間の関係や、集団の性格および反乱の本質について検討されている。

私は、以上の先行研究を踏まえ、安禄山集団の権力構造を解明するという目的で、考察を行なっていった。

第1章では、集団のトップたる安禄山の権力掌握についてみた。その中で、安禄山の特異性と呼べるものを指摘した。それらは、①後世に、伝説的な記述によって、追加されたカリスマ性(=超人間的な資質)、②賄賂・媚び諂いや、養子になるなどの行為によって急激な出世を果たした点、③胡商の経済的支援を受けることができた点、④多くの優秀な部下を集めることができた点、である。加えて、先行研究より、⑤突厥の軍事的支援を受けることができた点も挙げた。

第2章では、集団に属するようになった構成員を一人一人、可能な限り検討した。そして、その検討を通じ、集団の権力を形成した原理・秩序について考察した。

第1節では、反乱勃発直前までの期間に重点を置き、反乱を起こすまでに新たに集団へと組み込まれた人物をみていった。本稿では、列伝が記されている人物を取り上げた。その際、新しい勢力(人物)が、①どういう時期に、②何をきっかけに、③集団に属した後どういう地位に就いたか、という三点に注目した。

次に、それぞれの人物において、仮父子の結合をしていたか否かを検討した。

「仮父子的結合」は没個人的な曳落河や、安忠志のような人物について当てはまるということであり、構成員全体に適用できるわけではない。よって、ここに安禄山集団に一人一人組み込まれていった者、または自ら麾下に入っていった者を検討する意義がある。 第2節では、第1節において検討した、自立性が高く仮父子の結合をとっていない人たちが、どのような原理・秩序によって、安禄山集団の構成員となったのかについて考察した。そして、この考察を通して集団の性格を導き出すことを試みた。 安禄山集団は、「仮父子的結合」や実力主義に基づく採用方式などの原理により、集団としての力を増していった。その結果、強大な力を有した、「権力集団」になっていったのであり、これが安禄山集団の性格の一つとした。

本稿での考察により、今まであまり触れられてこなかった、安禄山集団を構成した、個性的な武将たちに、スポットを当てることができた。最後に、安史の乱を、安禄山と史思明だけではなく、安禄山集団が起こした反乱として捉えなおす必要があることを付け加えておきたい。


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