新潟大学人文学部

後漢時代における「礼」
―『礼記』月令篇に基づく一考察―

池内 さやか(新潟大学人文学部)

『礼記』月令篇の篇名である「月令」とは、一年間の気候の変化に応じた公式の年中行事のことである。本論文では、後漢時代における『礼記』月令篇の受容とその実態を明らかにすることを目的とする。『礼記』月令篇の中でも、特に万民に対する政治や刑罰に関する記述に焦点を絞ることとする。

そして、後漢時代を調べる上で取り扱う書物は、『漢書』・『後漢書』とする。それぞれにおいて、本論文で考察対象とした『礼記』月令篇に基づくと考えられる各事例について見ていく。

第一章では、本論文で考察対象とした、万民に対する政治や刑罰に関する『礼記』月令篇の内容を見てきた。

第二章では、『漢書』において、「月令」に基づいていると考えられる事例を二つ取り上げた。この二つの事例では、軍事的な場面や国内の乱についての発言に、「月令」が用いられていた。班彪・班固の『漢書』著述に対する基本的立場を確認した結果、この二つの事例には、その発言者の思想より、『漢書』の著者である班彪・班固の思想が反映されていると考えられる。

第三章では、『後漢書』において、「月令」に基づく発言をしたと考えられる八人の事例を取り上げた。これらの各事例を比較検討した結果、以下のことが確認できた。『後漢書』において、「月令」は施政の年中行事として実際に用いられていた。さらに「月令」は、寛容政策の一環として利用されていた。そして、多くの事例が示すように、災いが起き、それによって衰えた世の中を救うために「月令」はかえりみられていたのである。

第二章と第三章の考察結果を総合して考えると、『漢書』と『後漢書』において、「月令」を用いることとした契機は、何らかの災いであったという点が共通していると考えられる。

『漢書』と『後漢書』から、後漢時代、「月令」は実際に施政の年中行事として用いられていたことが明らかになった。さらに「月令」は、寛容政策という一面も持っていた。そして、「月令」は自然災害や人為的な害を契機として、発言の際に用いられていたのである。後漢時代、災いによって衰えた世の中を救うときに、「月令」という考えはよく利用されていたのである。


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