新潟大学人文学部

曹禺『雷雨』と『北京人』の比較研究
〜女性像を中心として〜

小出 奈保子(新潟大学人文学部)

『雷雨』は1933年に執筆され1934年に発表された曹禺の処女作である。一方『北京人』は1940年に執筆され1941年に発表された作品で、彼が31歳の頃のものである。『雷雨』と『北京人』は異なった時代の封建家庭を描いたものであるが、両作品ともに封建家庭への反感を描いた作品である。人物像を描く中でも特に女性像を描くことに優れていた、と一般的に言われている曹禺は、封建家庭を舞台にした『雷雨』と『北京人』において、そういった女性をどのように描いているのか。また両作品での描かれ方の違いはどこにあるか。主に『雷雨』の主人公周蘩漪と、『北京人』の中心人物曾思懿の二人を中心に取り上げ、「女性として」「封建家庭における婦人として」「母として」の三つの大きな観点から、また彼女たち二人以外の女性登場人物には「封建家庭に生きる女性」という視点から比較し考察した。

『雷雨』と『北京人』の女性像を中心とした比較から、女性に関して『雷雨』が一人の中心人物を、明確に描いた作品であるのに対して『北京人』は複数の人物を、複雑で多面的に描いた作品であるとういことがわかった。

二つの作品を「人物描写の視点」から比較した場合、『雷雨』が「一面的で明確な作品」であるのに対して、『北京人』は「多面的で複雑な作品」であるということから『北京人』が『雷雨』に比べ精密さにおいて発展していると言えるのである。曹禺自身が『雷雨』を振り返ったとき彼は、『雷雨』の技巧的、劇的過ぎる構成に読むたびに嫌気がさすようになった、技巧に凝らずとも深みのある作品を描きたいと切に思う、と述べているが、このような彼の作品への望みは『北京人』に果たされているのではないだろうか。『雷雨』では本人が「技巧的」と言うその構成(生き別れの兄妹、親子の偶然の巡り合せなど)に劇としてのおもしろさがあるのだが、『北京人』においてはそういった技巧的な構成を用いずとも、日常に普通にあり得る人物構成、光景を舞台とし、その登場人物の人間らしい複雑さ、深み、多様性を発展させることで作品の面白さの軸としたのである。これは、『雷雨』と『北京人』の間に隔てられた七年間の歳月において作者が、一人の人間の中に備わる複雑な心理、多数の人間間に絡み合う繋がりを感じ取り、作品に描き出すことができるようになったという大きな成果と言える。


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