新潟大学人文学部

韓非子における「法」・「術」・「勢」

西 洋平(新潟大学人文学部)

『韓非子』の中核をなす概念が「法」・「術」・「勢」の三つであることは、広く言われていることである。それは、先行する商鞅から「法」を、申不害から「術」を、慎到から「勢」を批判的・発展的に継承し、これらを統合したものであった。そして、この三者は相互に連関し作用し合うことによって、その機能をより完全に発揮する。よって本論では、この三者の連関について詳細に検討していくこととした。

第一章では、「法」・「術」・「勢」を個別に検討した。「法」は、「度量衡」としての側面と「行為規範」としての側面を持ち、統治のためになくてはならない唯一絶対のルールとされた。それは臣下や民衆のみならず、君主の恣意性をも排除する「公」的ルールだったのである。また「術」は、任用や悪事の防止などの場面において、君主が臣下を統御するための手段として用いられ、「形名参同」や「参験」など様々な種類があった。さらに「勢」は、君主が統治を行う上で必要不可欠の「強制力」であり、具体的には「地位・権力」や、それを生じる基盤となる「制度・機構」を指す。『韓非子』は、「自然の勢」を廃して「人設の勢」のみを論じ、「賢」と「勢」の矛盾を指摘して、絶対多数を占める凡庸で中等な君主のみを考察対象として自説を展開したのである。

そして、「法」・「術」・「勢」は、相互に連関し作用し合うことで、それぞれの機能をより強化する。第二章ではそのことについて論じた。「法」と「術」は、結合して「法術」という概念を生み出し、「術」は「法」の生じる「公利」を君主に還元し、「法」は「術」を行う際の恣意性を排除した。しかしこれら「法術」は、君主が持つ「地位」や「強制力」なしには効力を発揮することができない。そこで、「法術」は「勢」を必要とする。逆に「勢」は、「無方向性」と「無主体性」の解消のため、それぞれ「法」と「術」を必要としたのであった。

第三章の主題は、「黄老」思想である。「法」・「術」・「勢」を生み出し、三者を統合するものが、「黄老」思想であった。「道」は「法」を生じ、「無為」は「術」を強化して、君主に「勢」を得させた。「道」に従い「無為」となることで、「法」・「術」・「勢」の機能は完成し、君主は「不可知」で絶対的な存在となるのである。

この先にある『韓非子』の究極目標について、第四章で考察を行った。『韓非子』の究極目標とは、「究極の治世」の実現であった。「究極の治世」とは、君主のみならず「法」・「術」・「勢」もまた「下之有るを知るのみ」という存在となり、人々が「法」を犯そうとしないから「刑罰」を下す必要もない、「刑を以て刑を去る」が完成された世の中である。だが、ここにおいても「法」・「術」・「勢」は消え去ったわけではなく、依然として統治の三大要素として存在し続けたのである。


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