新潟大学人文学部

沈従文『阿麗思中国遊記』研究

田中 文恵(新潟大学人文学部)

沈従文(1902〜88)は湖南省出身で、自らの故郷を舞台とし、そこに暮らす少数民族の風俗や美しい風景描写を織り交ぜた作品が評価される、1930年代を代表する作家である。私が卒業論文で扱ったのは1928年に発表された『阿麗思中国遊記』であり、この作品は題名も登場人物もルイス・キャロル作『ふしぎの国のアリス』をもじっているが、内容は中国社会を痛烈に風刺したものとなっている。主人公はイギリス出身の少女阿麗思と、ウサギの紳士とされる儺喜先生で、物語は儺喜先生が阿麗思に中国を案内するという設定になっている。また、第1巻は中国の大都市を、第2巻は作者の故郷を舞台に話が展開する。

阿麗思の行動と特徴に関して、第1巻の冒頭では中国に関する知識はほとんどないが、中国人と積極的に交流するうちに中国の事情を理解するようになる。しかしそれは自分に興味のある部分しか見ていないため、表面的な理解にとどまっている。また、好奇心旺盛で純粋な少女として描かれている一方で、中国人に対する偏見もみられる。ところが第2巻で二哥(作者自身と推測される)に出会い、苗族の故郷を案内されてからは、中国の都会では見ることのできなかった独特な世界を体験して感銘を受け、中国人を侮ることはできないという考えに改まる。当初は中国を単に興味深い場所として捉えていた阿麗思であるが、苗族の故郷を見たことによって、中国には奴隷売買に代表される、残酷な一面も存在するという現実を思い知ったのである。

儺喜先生は、裕福で体面を重んじる、スコットランド出身の紳士である。中国通の友人から≪中国旅行指南≫という本(外国人の視点から中国社会を風刺したもの)をもらったために、中国の実情を理解しているかのように見える。しかし、≪中国旅行指南≫の影響をあまりに受けすぎたために、最後まで外国人の先入観で凝り固まった視点からしか中国を捉えることができず、阿麗思の案内人としての役割も失い、作品の途中で姿を消してしまう。

考察を進めた結果、作者がこの作品を残した意義とは、飢餓に苦しむ下層階級の人々の実情とそれに対して解決策をとろうとしない政府に対する批判や、共産党員の虐殺に代表されるような国民革命期における社会の混乱した状況と、外国列強の支配を受ける様子を詳細に表現し、社会に警鐘を鳴らすことにあったと考えられる。

また、本作品では作者の故郷が重要な役割をしていると言える。作者は本作品において敢えて美しい風景描写を避け、故郷に暮らす人間の苦悩という現実的な一面を描き出すことによって、これまで外から目を向けられることなく虐げられてきた苗族の屈辱を描き出したかったのだと考えられる。他の地域に比べ立ち遅れているものの、独自の古い文化が残る社会についての評価は肯定的でも否定的でもないが、故郷を大きく取り上げることによって、阿麗思のように中国を知らない人に対して、苗族の存在感を強調しているのであろう。


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