新潟大学人文学部

戦後初期の在日朝鮮人
―朝鮮戦争中の朝日新聞の紙面から―

遠山 香恵(新潟大学人文学部)

現在日本には約60万人の在日朝鮮人がいる。1899年7月28日の勅令第352号によって、原則として外国人である朝鮮人や中国人の労働者に移住を禁止していたため、1909年、日本には留学生など数百人しかいなかった。韓国併合後、勅令第352号が朝鮮人に適用されなくなり、その後朝鮮人人口は増加していく。

1945年8月20日現在で在日朝鮮人人口は220万人を超えていたが、その多くは朝鮮に帰国。1946年3月に朝鮮人の登録が行われ、約60万人の朝鮮人が登録。その後1946年中に8万人強が帰国し、その後は帰国者が減少、1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると帰国者は途絶えた。今日の在日朝鮮人とは、主にこの時の残留者とその子孫たちの事である。在日朝鮮人たちがどのように報道されていたかについては、金容権が、「第三国人」「三国人」という言葉のイメージが、朝鮮と結びつくようになった時代背景について1945年、46年の新聞記事などを検討し、考察しているが、1950年6月から1953年7月の朝鮮戦争の時期の全国紙を検討の対象として、在日朝鮮人問題を考察したものはない。そこで本稿は1950年6月の朝鮮戦争の勃発、1952年4月のサンフランシスコ講和条約の発効など、在日朝鮮人を取り巻く環境が厳しいものであった当時、どのように在日朝鮮人が新聞によって伝えられていたかを、朝日新聞を史料として検討していく。

第1章では在日朝鮮人について概観した。第1節では在日朝鮮人形成史、第2節では在日朝鮮人の法的な地位の変遷について、第3節では民族団体について概観した。第2章から新聞の紙面の検討を始めた。第1節で朝鮮戦争と在日朝鮮人について、第2節では朝鮮人騒擾事件と民族団体と題し、1950年6月〜1953年7月の期間の紙面を検討した。この期間の紙面で注目したいのは、1952年7月17日に掲載された「在日朝鮮人をめぐる諸問題」という社説である。この社説では、最近の朝鮮人による騒擾事件について、「在日朝鮮人のうち法に触れたいわゆる「望ましからざる朝鮮人」」であり、在日朝鮮人の気の毒な状況を配慮すべきである」という記述がある。第3節では法令・国籍問題に関する紙面を検討した。法令・国籍に関する記事で、1951年12月29日に「日韓親善のために」と題された社説が掲載されている。1950年6月から1953年8月までの期間の在日朝鮮人に関する社説は、前出の1952年7月17日の「在日朝鮮人をめぐる諸問題」とこの社説の2本のみである。

「日韓親善のために」と、「在日朝鮮人をめぐる諸問題」のふたつの社説に共通しているのは、「両国人間の友好関係の持続」「(法秩序を乱す一部の朝鮮人の行動は)悲しむべき現象」である、としている。また、日韓両国に多くの問題はあるが、善隣な関係を築いていくべきとする意見が両方で強調されている。これらの社説からは、この後、1980年代以降問題となる指紋押捺問題についてなどの懸念は読み取れない。また本稿には反省点がある。新聞の読み込みが甘かった点、他の全国紙との比較が無かった点である。また、在日朝鮮人の呼称が複数あることについても検討が足りなかった。今後の課題にしたい。


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