新潟大学人文学部

唐代神策軍に関する一考察

阿部 広佑(新潟大学人文学部)

安史の乱に前後して成立し、のちに唐の禁軍の主力となっていった軍隊の名を神策軍という。この軍隊は、皇帝の身辺を警護する親衛隊としての役割だけでなく、外敵からの侵攻を防いだり地方反乱を鎮圧したりする役割をも担っていた。この後者の役割を担っていたのが、他の禁軍にはほとんど見られない、神策軍の外鎮であった。この外鎮の軍功もあり、神策軍は禁軍の中軸を担う勢力へと発展していった。

私はこれらの先行研究を踏まえた上で、現在における神策軍のイメージを再構築し、さらに外鎮について史料や先行研究を用いて考察を行い、その上で神策軍に対する新しい評価を提示できないかを考察した。

第1章では現在の神策軍像を確認するため、神策軍の成立から代宗を擁して入朝し、禁軍随一の軍勢へと発展するまでを、史料を通して確認した。神策軍が初めて置かれた年代、魚朝恩が神策軍を支配下に置く経緯について先行研究で疑問が呈されており、それについて一定の見解を示すことができた。 第2章では現在の神策軍像に何かしらの疑問を呈せないかということを念頭におき、第1章であまり取り上げなかった神策軍の外鎮について考察を行った。第1節では神策軍外鎮の所在について、第2節では神策軍外鎮の構成と兵力供給の方法、第3節では神策軍外鎮の成果と諸問題について考察を行った その結果、第2節では募兵以外での神策軍の兵力拡大の方法を確認できたが、兵力供給システムの全容解明のためには募兵について知ることが不可欠であり、今後更なる研究が必要であると感じた。また第3節では神策軍外鎮の功績を確認するため、外鎮将として顕著な軍功を挙げた李晟と高崇文についての史料を追った。

第3章では、第1章、第2章での考察の中で浮かんできた疑問を踏まえた上で、神策軍に対して新しい評価を与えることを試みた。 その結果、少なくとも、神策軍イコール禁軍という評価は妥当ではなく、従来考えられている以上に神策軍外鎮の存在が大きいと結論付けた。 本稿での考察により、今まであまり触れられていなかった神策軍の外鎮に対して一定の評価を下すことが出来た。その結果、従来の神策軍に対する評価に異論を提示することが出来た。しかし、史料を限定してしまったため、特に募兵に関して充分な考察を行うことが出来なかった。そのため、この問題を解決すれば、また違った神策軍に対する評価を下せるかもしれないということを付け加えておきたい。


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