新潟大学人文学部

初期一進会の研究

蒲生 早季(新潟大学人文学部)

大韓帝国末期、自国を救うことを目的に多くの運動団体が立ち上がった。一進会はその中の一つであり、その活動内容が日本に協力的なものが多かったため、親日団体として有名な団体である。

先行研究では、日韓合邦運動や学校経営など一進会成立後の活動に焦点を当てたものが多い。一進会は、東学の流れを汲む進歩会と独立協会の流れを汲む維新会との合同によって成立するが、進歩会、維新会のそれぞれの成立過程、そしてこの二つの会が合同するまでの過程やそれに伴う活動内容についてはあまり研究されていない。

そこで私は、活動初期の一進会の関連記事が連日掲載されている『皇城新聞』を史料とし、彼らの思想の根底にあるものを探り、初期一進会がどのような団体であったか、その本質を検討した。 第一章では維新会(後の原初一進会)について検討した。維新会は1904年8月18日に成立するが、成立後に会の趣旨(四大綱領の原型となるもの)や二十一条に渡る規定を公布し、集会や演説を精力的に行い、一ヶ月弱という短期間の間に原初一進会は会としての基礎固めを完了させた。

第二章では原初一進会の活動の基幹となっていた四大綱領について検討した。四大綱領の内容は⑴皇室尊厳の基礎を鞏固にする事、⑵人民の生命財産を保護する事、⑶政治改善を実施する事、⑷軍政財政を整理する事である。四大綱領に関連する記事や、その内容に基づく会員の演説、政府への公函を見てみると、原初一進会という団体は危機に瀕している自国を救うために立ち上がった団体であり、司法・立法・行政の面にも目を向け、国を強く築いていくためには、政府と一般民衆とが心と力を合わせることが必要であると主張していた。

第三章では進歩会の活動、そして進歩会と原初一進会との関わり、合同一進会の成立までを検討している。進歩会は東学の流れを汲んでいるので政府から危険視されていたが、進歩会は原初一進会に、両会の目的が同じであるため合同しようと働きかけたため、原初一進会と接触するようになってからは、政府から弾圧の対象と見なされる事は少なくなった。そして1904年12月2日に合同一進会が成立したのである。合同成立以後には、今まで以上に精力的な活動を行い、また多くの会員を擁すことになったので、より広い視点で政治に対する主張を繰り広げていくことになった。

本稿での考察によって、一進会が掲げた四大綱領及びその活動内容は、困窮していた韓国社会を救うためのものであったと読み取ることができた。一進会という団体は日本に協力的な政策も行っていたが、根底にある思想は自国のためにものであった事が見出せた。

今回皇城新聞の記事を細かく検討したので、他の史料の使用や比較する事にまで手が届かなかったが、今まで初期の一進会研究であまり使用されてこなかった皇城新聞を使用したことには意義があった。今回の研究に他の史料を加えて研究を進めることによって、更にあまり注目されていない初期の一進会の姿が明らかになっていくと考えられる。


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