新潟大学人文学部

池莉「生活秀」研究
―主人公・来双揚の人物像について―

本間 淑恵(新潟大学人文学部)

「生活秀」は、現代人気作家の一人である池莉が2000年に発表した中編小説である。「生活秀」の「秀(xiu)」は「show」の音訳で、展示という意味である。つまり「生活秀」は「生活の展示」を意味しており、この物語では様々な登場人物が多様な生活を送っている様子が描き出されている。

池莉は1957年1月21日、中国湖北省仙桃市で生まれた。1985年に結婚し、1988年に女児を出産、一児の母となった。1990年、武漢市文聯にて専業作家となり、同時に武漢市作家協会副主席も兼ねた。1997年には中国作家協会全委会委員となり、その後2000年の武漢市第八次文代会にて、武漢市文聯主席になっている。池莉はその後も多くの作品を発表し続け、現在まで第一線で活躍し続けている。

本論では、「生活秀」の主人公来双揚の人物像について考察した。来双揚は漢口の裏町で生きる独身女性であり、多大な苦労を背負いながら日々を暮らしている。本論では、作者である池莉の随筆から彼女の家庭生活に対する思い、考え方を考察し、池莉自身の経験や思考を作中の登場人物やエピソードと照らし合わせ検討した。また、作中の記述の考察、来双揚と他の登場人物との比較なども行い、池莉が来双揚をどのように描いており、来双揚にどのような思いを託したのかを論究してきた。

第一章では、作中に登場する、親子関係がうまく築けない家庭、生活のために愛による結婚ではなく条件による結婚を行った女性の姿などを考察した。それによって池莉が作中で家庭生活を送ることの苦難を描いており、独身としての生き方を肯定していることを明らかにした。また、独身であるからこそ貫ける「万事人に求めず」の信念を無意識に貫いている来双揚の姿を考察し、池莉は自身が貫き通せなかった信念を来双揚に託すことで、独身女性の可能性を打ち出していることも明らかにした。

第二章では、独身でありながらも擬似的な子供を持ち、彼らを守っている来双揚の姿を考察した。来双揚は、人に頼らず一人で生きてゆける強さのほかに、人を守るというたくましさも兼ね備えている人物であると言える。また来双揚の擬似的な子供を守る行動は、来家を守ることに繋がっていると考えられる。来双揚は独身であるが、その一方で家の繋がり、血の繋がりを守ろうとする行動をとっていると言えよう。池莉は来双揚に、独身女性として強く生きる面、血縁関係を守ろうとする面の、相反する面を同時に持たせたのである。したがって主人公像は、非常に複雑な多面的なものであると言える。また作中で、来双揚と彼女に想いを寄せる男性、卓雄洲との恋愛はうまくいかず、来双揚には最後まで頼ることのできる場所が与えられなかった。しかし、頼る場所を得られなかった来双揚が悲愴に描かれているわけではなく、むしろ作中の記述からは、来双揚が失恋の痛みを吸収し人間的に成長している様子が読み取れる。この点からも池莉は人に頼らず一人で生きてゆく来双揚を強く肯定していることが読み取れる。

結論として、池莉は、自らは家庭を持ったことを幸せに感じていながらも、作中では独身女性の生き方を強く肯定し、独身の来双揚を強く魅力的な人物として表現したということが言える。その一方で来双揚は家の繋がりを守る役割も担っており、主人公像は大変複雑なものでもあった。その主人公像の奥深さが、読者に来双揚をさらに魅力的に感じさせる一因ともなっているのである。


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