新潟大学人文学部

王粲の文学について
―政治への関心を中心に―

池田 和仁(新潟大学人文学部)

王粲は字を仲宣といい、後漢から曹魏にかけての人物である。戦乱を避けて荊州に身を寄せたものの、彼の地の実力者に用いられることはなく、不遇であった。曹操が進出してくると、その博識を買われて重用されたという。また、曹氏政権の中心であった鄴には、当時を代表する文学者によってある種の文壇が形成されており、帰順後の王粲はそれに加わるようになる。曹操・曹丕・曹植も文壇の一員であり、王粲はいわゆる建安七子の一人として名を連ねた。

その作品は詩賦に優れているとされ、「登楼賦」「七哀詩」といった代表作がある。先行研究もまた多い。しかし、たとえば「論」と称する一群の著作もある。主に政治論について述べたものであるが、従来顧みられることが少なかった。本論では、王粲の詩賦以外の著作を取り上げて、彼の政治感や社会観に焦点を当てた。

扱った資料は、「倣連珠」「務本論」「難鍾荀太平論」「儒吏論」「爵論」である。まず、「倣連珠」では理想とする君臣関係について述べ、賢明な君臣が揃って初めて立派な政治を行うことができるとする。「務本論」では、農業が政治の要諦であると主張している。また、「難鍾荀太平論」「儒吏論」においては、賞罰や儒家と法家の政治的関わりに言及している。「難鍾荀太平論」では、刑罰は廃すべきではないと結論付け、「儒吏論」では、儒家思想を重視する官吏と法律を重視する官吏とを対比させて、両者とも儒法双方を修めるべきと説く。最後に、「爵論」では財産や土地ではなく、爵の活用によって国家からの褒賞とすべきであると主張する。

このように何篇か検討した結果、特徴として次のようなことが導き出せた。第一に、政治への強い関心を示したものが目立つということである。第二に、王粲の理想とする政治とは、賢明な君臣を統治者として戴き、儒家の教えを取り入れつつも、法律を重視するものである。曹氏政権に参画した後は、経世済民の志を実践しうる場として、積極的に取り組んでいたことが読み取れる。


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