新潟大学人文学部

緑旗連盟における教育および教育論

玉木 春菜(新潟大学人文学部)

本論では緑旗連盟の教育と教育論について考察した。緑旗連盟は1933年に京城で社会教化団体として結成した。結成当時、連盟員は在朝日本人が主であった。だが、1936年に初めて朝鮮人の玄永燮が緑旗連盟の職員となったことにより、朝鮮人の皇民化、内鮮一体運動に着手する事になる。その為、総督府の政策の影響を強く受けた団体でもあった。緑旗連盟の教育、教育論について詳しく考察した先行研究がないため、緑旗連盟の教育、教育論について考察することにした。史料として、緑旗連盟が発行した雑誌『緑旗』を参考とした。

第二章では、事業内容の一つである「中堅人物の養成」に着目した。「中堅人物の養成」事業の中に、緑旗連盟がおこなった教育がみられると考えたためである。「中堅人物の養成」事業には、(1)成人部、婦人部、学生部の活動、(2)清和女塾の運営、(3)梧柳洞農生塾の運営があり、それぞれ考察した。成人部、婦人部、学生部はそれぞれ頻繁に部会、集会を開いて、連盟員の教化を行っていた。清和女塾では、在朝日本人女子を対象に教育を施していた。清和女塾の理想として知識を得る教育と実用的な教育のバランスのとれた教育が目指された。緑旗農場梧柳洞農生塾は「梧柳洞農生塾は、農場に於ける業行を通じて皇国農民としての自覚を確立し以て、朝鮮農村振興の根底を培うこと」、「農村指導の中堅人物を作ること」を目的として設立された。梧柳洞農生塾では、総督府が設立した農民訓練所と類似している点が多かった。

第三章では、国語教育論、青年論を取り上げ考察した。国語教育論では、緑旗連盟で最初に職員となった玄永燮の国語教育論、それ以外の人物の国語教育論にわけて考察を試みた。青年論では、青年の一部である学生について書かれた学生論、朝鮮人青年論、朝鮮人青年論の一部として志願兵制度について考察した。ここでは、青年の一部である学生について書かれた学生論、朝鮮人青年論、朝鮮人青年論の一部として志願兵制度について考察した。学生論では、緑旗連盟で展開された学生についての主張を考察した。1930年代には、学生部が設けられ、緑旗連盟内で活発な運動を行った。1940年代は、徐々に学生も兵力の一部と認識されたため、将来の兵士として、鍛錬することを求める主張が多くなった。これにより、緑旗連盟では、学生は青年の一部として組み込まれるようになった。学生部は成人部と統合し、青年部となった。朝鮮人青年論では朝鮮人青年に対して、緑旗連盟が何を理想とし、何を求めていたのかを考察した。また、朝鮮人青年の理想像の一つとして挙げられる志願兵について着目し、緑旗連盟がどのように志願兵制度を推進したのかを考察した。朝鮮人青年を志願兵訓練所で訓練する事により、内鮮一体化することが出来ると考えられていたようだ。


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