新潟大学人文学部

王安憶『荒山之恋』研究

坂上 綾香(新潟大学人文学部)

『荒山之恋』は王安憶(1954〜)が1986年から87年にかけて発表した「三恋(恋三部作)」のスタートを切る作品である。婚外恋愛の末に男女が心中するというストーリーゆえに、当時の文学界に大きな衝撃を与えた。

先行研究では、王安憶が「恋愛」「性」を題材に「人間の存在」や「男らしさ」「女らしさ」の影に潜む悲劇を描いた、という視点が多かった。本論ではそれらをふまえ、作品中に登場する象徴的な表現を「音」に関するもの、「場所」に関するものに分類し、それらによって作者が作品にどのような効果をもたらそうとしたのかを考察した。

「音」に関する表現では、「彼」と音楽の関係性、船の汽笛、二胡の音の三点に注目した。これらの表現はそれぞれ、「彼」の運命、「彼」と「母」の運命、「彼」と「妻」の運命を象徴していることが明らかとなった。特に音楽が「彼」に与えた影響は大きく、「彼」の人格形成の一端を担っているほか、「妻」と「彼女」に出会うきっかけとなったり、「彼女」との恋に溺れていくよりほかない「彼」の状況を作り出すきっかけになったりしていることを述べた。

「場所」に関する表現としては、「彼」の育った屋敷と、「彼女」の故郷にある花果山に注目した。屋敷の暗い雰囲気と激しく燃え上がる明るさの対比からは、「祖父」ひいては家長となる男性に対する、作者の批判と同情の意が読み取れる。また花果山の、美しい山から荒れ果てた山へと変化する様子は、「彼女」の人生の浮き沈みが象徴されていることを明らかにした。

結論として、これらの象徴的な表現は、心中するしかなかった二人の悲劇的な結末を導くために、作者が意図的に散りばめたものであると考えられる。王安憶はこの結末の原因を、社会にあるとも、特定の登場人物によるともしていない。悲劇は不可避のものであり、必然であったと締めくくっている。人生の運命性、必然性を強調するため、いくつかの象徴的な表現が効果的に用いられているのである。王安憶は『荒山之恋』を通して、人が生きること、他人を愛すること、自分自身を確立すること、これらの普遍的なテーマを、問題提起として読者に投げかけているのだ。そしてそれらの表現は、読者に様々な解釈や視点を与えることに成功したといえる。


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