新潟大学人文学部

戦時下新潟県における在日朝鮮人の状況
―1930〜40年代を中心に―

狩野 杏莉(新潟大学人文学部)

本稿は新潟の在日朝鮮人について若干の記録を残そうと試みたものである。構成は次のとおりである。

第一章では「新潟県における朝鮮人労働者」と題し、第一節では人口の推移と戦時労働動員について言及し、第二節では津南地域をはじめとする各地域の朝鮮人の暮らしぶりについて当時を記憶する高齢者への「聞き取り」を通じて、日本人と朝鮮人の関係についても若干の考察を試みた。1936年4月に東京電燈・信濃川発電所工事が着工されるが、工事就労者の中には朝鮮人も含まれていた。朝鮮人は発電所の用地の一角に設けられた「朝鮮飯場」で生活していた。「朝鮮飯場」は二棟ずつ三ヶ所に建てられ、そこには「まかないの」朝鮮人もいたという。単身者用の飯場と家族連れ用の飯場があった。日本人の子どもは学校から帰ると金屑を拾って朝鮮人のところへ持って行き、買い取ってもらっていた。このように日本人の子どもと朝鮮人の大人との交流が見られるが、友好的なものだったかは分からない。第三節では、朝鮮人の県内各学校への就学状況と主に津南地域と佐渡における朝鮮人の日本語学習について資料を紹介した。現在の津南町立三箇小学校、新潟県立高田農業高校には朝鮮人児童が就学していたことが現地調査より確認できた。朝鮮人も日本人と同様の教科書(『小学国語読本』)を使って授業を受けていたという。また、朝鮮人労働者たちの日本語学習については「国語準備所」なるものを設置して対応した。1941年1月三菱鉱業佐渡鉱業所では中央協和会の『協和国語読本』を150冊注文した。『協和国語読本』の内容についても若干の考察をおこなった。

第二章では「新潟県協和会の設置と各団体の事業内容」と題し、在新潟朝鮮人を統制するために設置された新潟県協和会の設立過程やその活動、機能について『新潟県社会事業』(1938年1月〜1944年3月年刊行)や新聞記事の調査により分かったことを記した。各地の地方協和会を統括するために設立された中央協和会の事業内容については樋口雄一氏の研究に負った。新潟県では新潟県協和会が設置される1939年6月以前に協和会的機能をもった「内鮮融和団体」がいくつか存在していた。新潟県初のそれは新潟市を中心に1934年8月に組織された「皇国相助会」である。その後、十日町郡に「新光協和会」、高田市を中心に「温交会」など、少なくとも8団体が存在したことが分かった。

本稿では、平和教育委員会編『平和教育研究委員会資料』を参照しつつ、新潟で発行されていた新聞の記事、在日朝鮮人関連の記事がある町史・社史等の資料をまとめ、在日朝鮮人の足跡を求めて新潟県中魚沼郡津南町、上越市高田への聞き取りやフィールドワークを試みた。しかし、日本人側の体験と共に朝鮮人のそれを聞くことによって平等で公正な判断が出来ると思われる。その点は今後の課題としたい。


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