新潟大学人文学部

植民地期朝鮮における国民運動
―日常生活統制に注目して―

小林 正美(新潟大学人文学部)

1937年の日中戦争勃発以降、朝鮮人の直接的・間接的な戦争協力を目的として、朝鮮においては国民精神総動員運動および国民総力運動という国民運動が展開された。そしてこの運動下では、民衆の日常生活に対しても様々な統制が加えられた。本稿では、まず国民運動の概要を明らかにし、その後、運動下での日常統制について考察を行った。

第一章では、国民精神総動員運動期、国民総力運動期に分け、それぞれの運動目的や組織の性格を明らかにした。いずれの運動も、最大の目的は朝鮮人の皇国臣民化であった。また運動組織の大きな特徴は、末端機構として十戸を一班とした愛国班が結成されたことである。このような組織形態は、あらゆる統制において大きな意味を持ったと考えられる。それは日常生活統制に関しても同様である。

第二章では、まず第一節で愛国班常会について考察を行った。常会を扱った理由は、上からの実践事項が民衆に伝えられる場であったためである。国民精神総動員運動期における常会活動は活発とは言えず、1940年頃から配給制度に利用され始めたことによって参加率が向上していったものと思われる。第二節では、儀礼・衣服・物資回収の三項に分けて考察を行った。儀礼ついては、宮城遥拝・黙祷・神社参拝・皇国臣民の誓詞を扱い、衣服については色服奨励と質実化を、物資回収については廃品回収と供出を扱って、民衆の日常生活に対していかに統制が加えられたかを明らかにした。

運動初期は、常会を定期的に設けることが出来なかったため、民衆の日常生活を統制することもまた困難だったと思われる。しかし1940年以降、配給制度に愛国班が利用されるようになってからは、参加者も増えていった。たとえ第一の目的が配給だったとしても、常会の場で多くの民衆が実践事項を知り、時には実践することとなった。また時には、事項の実践度合によって賞罰を加えるという方法がとられることもあった。これらによって実践率が上がった可能性も十分に考えられる。だが民衆からの不満や反発、また実践事項が徹底されない等の報告は、運動初期から終盤に至るまで確認されており、常会に参加せざるを得ない、もしくは指示に従わざるを得ないような状況を作り出したことによって実践率が上がっても、結局は総督府や朝鮮連盟が嫌った形式主義に流れてしまったのではないかと考えられる。


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