新潟大学人文学部

舞台から見る老舎『茶館』の世界

大泉 朋恵(新潟大学人文学部)

『茶館』は老舎の数多くの戯曲の中で最も有名な戯曲であり、1958年に初めて上演されて以来、演出を少しずつ変えながら現在でも上演され続けている。本論文では、1979年の演出をもとに、舞台から見た老舎『茶館』について考察した。

老舎は自分自身の目で見てきた庶民たちを作品中に多数登場させることによって、生活の中で経験してきたものを『茶館』の中に取り込み描いている。演出家もまた、当時の人々の生活に根付いていた音を舞台の中で用いるなどして、生活に根付いた舞台づくりを行っていた。このことから、老舎と演出家の考え方の間に生活を基礎とする点での意図の一致が見られるのである。生活を基礎とする老舎の意思が舞台の中にも反映され、それは老舎と演出家の間に意図の一致が見られたからこそ達成できたものであった。

一方、脚本と演出の相違点を見ていくと、1979年の演出では、第三幕の終わりが老舎の脚本とはまったく異なった場面として描かれるなど、特に第三幕を中心に相違点が多数見受けられる。「这是我的茶馆,我活在这儿,死在这儿!(これは私の茶館だ。私はここで生き、ここで死ぬのだ!)」という主人公・王利発の言葉は、茶館とともに消えていく王利発の生き様を表現した台詞であり、この台詞に端を発する王利発の死は『茶館』のストーリーの軸となる。演出された第三幕最後の場面は、この王利発の死をさらに強く印象づける役割を果たしているのである。このような演出には、一般的にあまり高い評価を受けていなかった老舎脚本の第三幕を、魅力あるものに変える大きな成果があったと言えるだろう。

本論文では、老舎と演出家の間にあった共通点、脚本と演出の間にあった相違点を見ることによって、舞台において『茶館』という作品にどのような魅力が新たに加えられたのか、その中に老舎の意思がどのように反映されているのかを考察してきた。舞台『茶館』は、老舎の意思を確かに受け継ぎながら、そこに新たな演出を加えることによって、老舎の『茶館』という作品に深みを与えたのである。


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