新潟大学人文学部

余華『在細雨中呼喊』研究

涌井 恵梨子(新潟大学人文学部)

中国の現代小説家余華の作品には、目を背けたくなるような残酷な出来事も写実的に描くという表現方法上の特徴が見られる。その様な表現方法は、彼の幼い頃の体験に因る所が大きいと言われる。『在細雨中呼喊』でも、非常に多くの様々な人物の死が描かれている。単に数が多いばかりでなくその描写方法もそれぞれ個性的であり、ひとつとして同じ様な死の描き方は存在しない。また、単に死という現象のみを描くのではなく、その死の描写からは家族の姿も鮮明に映し出されている。そこで死の描写とその手法を考察し、余華が伝えたかったことを“我”という人物を通して明らかにした。

第1章では、余華の経歴についてまとめ、『在細雨中呼喊』がどの様に描かれた小説であるのかを紹介した。

第2章では、様々な人物の死から見る“我”とその家族、そして友人との関わりについて考察した。そこから、『在細雨中呼喊』で余華は「死」そのものだけではなく、それを通して家族の関係や友情のあり方などのものも描いているということを明らかにした。

第3章では、『在細雨中呼喊』における「家族」にテーマを絞り、前章で明らかに出来なかった部分を取り上げて考察した。さらに『在細雨中呼喊』以外で余華が90年代に描いた長編小説『活着』、『許三観売血記』を用いて家族の描き方と死の描き方がどの様に変化したかを比較した。

『在細雨中呼喊』は余華の自伝的小説であると言われている。それは描かれている内容のほとんどが余華の実体験に基づいているためであり、小説の舞台となっている故郷南門は、余華が幼少期を過ごした海塩の鎮の様子を思い起こさせる。また、“我”の年齢設定や作中に登場する蘇家の様子など、余華の経歴や育った家庭環境と重なる部分が非常に多いことも理由として挙げられる。作中に登場している人物や状況設定について以降の余華の作品に反映されている部分も多く見られることから、『在細雨中呼喊』が余華の描いた作品の中で重要な地位を占めているであろうことが言える。

『在細雨中呼喊』という作品で注目すべきところは、ほとんどのエピソードがいつの出来事であるかについての明確な記述がないにもかかわらず、すべてのエピソードに矛盾が一切ないことである。それぞれがいつ起こったのかの明確な記述はなくても、細かく読み込むとその前後や因果関係がわかるというものになっている。このことから余華が深い構想の下でこの作品を書き上げたことがわかる。さらに余華は90年代に書いた以降の作品の中で、『在細雨中呼喊』で描かれた状況設定や登場する人物を用いて別の物語を描いている。これらのことから、『在細雨中呼喊』という作品は、余華が90年代に書いた作品の基となっていると捉えることが出来るのである。


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