新潟大学人文学部

日中戦争期における華北華中における日本の傀儡政権について

遠藤 めぐみ(新潟大学人文学部)

1937年から始まった日中全面戦争において、日本は、軍事的作戦を通じて占領地を拡大していった。それとともに、「華をもって華を制する」という方針の下、占領地の治安維持回復のために、占領地に傀儡政権を樹立していった。日中戦争中に中国占領地で成立した日本の傀儡政権は、「察南自治政府」、「晋北自治政府」、「中華民国臨時政府」、「中華民国維新政府」、「中華民国国民政府」(汪精衛政権とする)など、ほかにも多数あるが、本論文では、中国華北・華中地域に着目し、そこで成立した「中華民国臨時政府」および「中華民国維新政府」の成立について検討した。資料としては、アジア歴史資料センター所蔵の資料および『現代史資料』に掲載されている資料を用い、日本がどのような計画をもって中国占領地において傀儡政権樹立工作をおこなっていったのかをみていった。

第一章では、1937年12月14日に華北に成立した「中華民国臨時政府」(行政委員長・王克敏)について、その成立過程を明らかにした。傀儡政権樹立工作は、軍事的作戦とともに北支那方面軍によって進められていたが、その新政権の性質に関して、陸軍中央や日本の出先軍など(関東軍、支那駐屯軍、北支那方面軍)の間で意見の相違が生じていた。それは、新政権を南京国民政府に代わる中央政府として成立させるか、一地方政府として成立させるか、というもので、工作を進めていた北支那方面軍は中央政府とすべきだとしたが、結局は「中華民国臨時政府」は「臨時」という名称のとおり、中央政府としては成立せず、南京国民政府との交渉による戦争の解決の余地を残したものとなった。

第二章では、1938年3月28日に華中で成立した「中華民国維新政府」(行政院長・梁鴻志)について、その成立過程を明らかにした。新政権の性質に関しては、「中華民国臨時政府」の成立時とは異なり、陸軍中央と北支那方面軍および関東軍は一貫して「地方政権の樹立」を主張し、華中新政権の成立後は「中華民国臨時政府」に速やかに合流するように指示し、工作を進めていた現地軍である中支那方面軍と対立した。名称決定についても、陸軍中央などは地方政権的性質をあらわす名称を提示し、現地案にあった「中華民国新政府」という名称は認められず、華中新政権は「中華民国維新政府」という名称で地方政権として成立した。

以上のように、「中華民国臨時政府」と「中華民国維新政府」は同じ日本の傀儡政権であったが、成立過程には多少の相違が見られた。新政権の性質について、どちらも「中央政権」とすべきか、「地方政権」とすべきかで意見の対立が起こったが、その対立の構造は、異なるものとなっていた。特に、後に成立した「中華民国維新政府」は樹立工作当初から一貫して「地方政権」として成立させるよう方針づけられ、一時的な地方政権という意味合いがとても強かったといえる。

2010.2.21


2009年度卒論タイトル Index