清末から中華民国初期にかけて、中国は日本やアメリカをモデルとして、近代的な教育の普及を試みてきた。この近代的な教育の1つである職業教育を、提唱・推進した人物として黄炎培(1878〜1965)を挙げることができる。黄炎培は、1917年に中華職業教育社と中華職業学校を創設し、職業教育の指導者として教育界に大きな影響力を持っていた。また、1930年代後半から民主同盟や民主建国会の重鎮となった人物でもある。このような教育家としての黄炎培や政治家としての黄炎培については多くの先行研究があるが、それぞれの黄炎培像は分裂した姿で描き出されており、黄炎培を部分的・断片的にしか捉えることができなかった。
そこで本論文では、1930年代前半の黄炎培の活動を詳細に辿った。黄炎培は1931年の満州事変勃発以降、抗日活動に取り組んでいた。その活動の拠点となっていたのが、上海市民地方維持会や浦東同郷会、中華職業教育社であった。具体的な活動内容は、国産品の購入を勧める「国貨運動」の推進や、閘北平民教養院と淞滬記念広慈院での難民救済・教育活動、農村改進運動、出版物による抗日の呼びかけなど、より民衆に深く根ざした社会活動であったと言うことができる。また、黄炎培はこれらの活動を、上海という地域と強く結びついて行っていた。
つまり、黄炎培は1930年以降、職業教育活動から政治活動へと急旋回したのではなく、職業教育活動の経験を土台として、地元・上海に深く根を下ろして社会活動を行い、次第に政治活動にも取り組んでいったということができる。このように黄炎培の教育活動・社会活動・政治活動には、共通性・連続性を見いだすことができるのである。
2010.2.14