新潟大学人文学部

韓国高等学校国史教科書の変遷
―第2次教育課程教科書と第3次教育課程教科書の近代以降の記述を中心に―

河合 望(新潟大学人文学部)

本論文では、韓国の高等学校において使用される国史教科書を各教育課程(米軍政期から第7次教育課程)に着目しながら、特に第2次教育課程期と、第3次教育課程期のものに重点を置いて、その構成や記述の変遷を明らかにしていくことを課題とした。韓国の「国史」教育は1945年の解放以来、国政や国策の一部として重視され、様々な変化をとげてきた。その中で第2次教育課程から第3次教育課程に変わる時に、国史の教科書は検定教科書から「国定」教科書に変わった。この際の変化を明らかにしようとするものである。

第1章では、韓国の教育の根幹をなす教育課程と教科書制度について、先行研究をもとに確認していった。

第2章では、第2次教育課程教科書と第3次教育課程教科書の、構成比較と記述内容について、それぞれの教科書を訳しながら、比較を行った。

以上の検討から、「国籍ある教育」をどのように実現しようとし、その結果どのような記述が行われているかということについて第3次教育課程教科書は、韓国を主体とした肯定的な歴史を描こうとしている。特に、自発的な運動や改革、戦いなどにその傾向をみることができる。また、第3次教育課程で充実している記述には、列強の支配に対する国民の闘争の具体的な描写がある。高宗の強制退位や軍隊の解散によって起こった民心の爆発でゲリラ戦や侍衛隊がつくられたことが記述されている。6・25の朝鮮戦争でもこの傾向は見られる。いかに悲惨な被害があったかを強調することでしか描けない歴史では、国民の自負心は育たないであろう。しかし、第2次教育課程教科書では6・25までの朝鮮半島での北と南の対立を描く際に北韓の政権をソ連の「傀儡政権」と断言していることや、東学農民蜂起で国民が立ち上がるまでを、被害を強調して記述していること、前に述べた甲申事変の記述などからも被支配者、他律的な政治を描く形になってしまっていた。列強の思惑に大きく左右されながら展開していくのが朝鮮半島の歴史かも知れない。植民地支配のもとで日本から植え付けられた植民地史観を乗り越えようという姿勢が色濃い昨今も、これは認めざるを得ない。しかし、事実を自虐的な歴史で描くのではなく難局に対峙した時に、国民が感じ行動したことを自国を主体とした文章で書こうという姿勢が大切なのは事実である。なぜなら韓国の「国史」は日本史でも中国史でもなく、韓国史だからである。

2010.2.19


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