新潟大学人文学部

哈爾濱日本人居留民社会の成立とその歴史

木村 歩美(新潟大学人文学部)

中国黒龍江省の省都・哈爾濱は、その歴史を辿ってみると、1898年からの帝政ロシア支配、1920年代からの中華民国支配、そして1930年代の日本支配(満州国時代)を経て、戦後はまた中国の都市へと戻るという、非常に複雑な歴史であることが分かる。このような特殊な歴史の中で、哈爾濱ではロシア人・中国人をはじめとした多くの外国人居留民たちがひとつの街で暮らしてきた。本論文では、これら外国人居留民の中で、日本人居留民とその社会に注目し、彼らが哈爾濱にやってきた理由や、その暮らしぶり、居留民団体の成立や発展の様子を検討した。資料は、主に雑誌『セーヴェル』等に記載された当時の回想録や、アジア歴史資料センターの外交資料、当時の新聞記事を用いた。

第一章では、哈爾濱都市建設がスタートした1988年から、1900年ごろまでの哈爾濱草創期の様子と、日本人居留民社会の成立過程についてみた。ロシアによる東清鉄道建設の開始によって、草創期の哈爾濱には多くのロシア人鉄道関係者が居住したが、そのなかで日本人居留民は、ロシア人を相手に雑貨や食料品を扱う店を開き、哈爾濱での生活を開始した。ロシアが行政権を行使していたため、居留民たちはロシア政府との交渉を目的に「松花会」を設立した。

第二章では、1900年代から1920年代の様子について検討した。1907年に哈爾濱にも税関が設置されたことによって、哈爾濱における商業活動はより活発なものとなり、外国人居留民の数は急激に増加して、街には数十カ国の大使館が立ち並んだ。日本人も商業活動を目的に家族で哈爾濱へ移住するようになり、居留民社会の拡大とともに「日本人居留民会」の設立や日本人学校の建設などが行われた。第一次世界大戦とロシア革命後に哈爾濱でのロシア勢力が衰退すると、中国側が自治権を回復し、1920年代は中華民国支配となったが、ロシア人社会の中で築き上げてきた日本人の経済基盤もこれによって大きく揺らぐことになった。

第三章は、1930年代からの満州国時代と、終戦後の日本人引き揚げの様子について検討した。1932年以降、哈爾濱も満州国の一都市となったが、居留民たちの生活に大きな変化が見られたのは1935年の北鉄接収後である。ロシアが建設した東清鉄道の権利を日本が買収したことによってロシア人鉄道関係者が一度に引き揚げ、代わりに大量の日本人が入哈した。日本人居留民社会は急激な拡大を見せたが、一方でかつての「国際都市・哈爾濱」は失われていった。終戦後は中国共産党軍が哈爾濱へ入城し、約8万人の日本人を対象に引き揚げを行った。

哈爾濱における日本人居留民社会の発展について以上のように考察した。特に経済状況については、ロシア経済・中国経済は居留民の生活に大きく影響したが、居留民たちは変化のたびに柔軟に対応し、他の外国人居留民と交じり合いながらその勢力を徐々に拡大させていった様子を伺うことができた。

2010.2.26


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