新潟大学人文学部

植民地期朝鮮における官僚の試験任用
―文官普通試験の試験制度と最終合格者の分析を中心に―

齋藤 大志(新潟大学人文学部)

本稿では、植民地期朝鮮における、文官任用令に基づいて行われた判任官の試験任用制度である、文官普通試験に対象を絞って、それが持つ性格について、文官普通試験の試験制度や最終合格者といった観点から分析、考察した。史料として、『朝鮮総督府官報』の文官普通試験に関わる記事をメインに、当時の受験雑誌としての性格を持つ、『受驗界』や『朝鮮行政』を用いた。

第一章では、官僚の試験任用制度の変遷がいかなる経緯を辿ってきたかということに関して、各種先行研究に依りながら概観した。

第二章では、判任官の資格を得る試験である文官普通試験について焦点を当て、植民地期朝鮮における文官普通試験自体が持つ性格とはいかなるものであったかについて分析した。第一節では文官普通試験の試験制度の側面から分析を行い、さらにその変遷についてより明確にするため、当時の高級行政官僚を目指すための試験であった、文官高等試験行政科の本試験の試験科目と比較して考えた。この節では、朝鮮における文官普通試験は、内地人を対象に朝鮮語が課されていた特徴が見られたこと、文官普通試験の出題傾向から朝鮮に関する知識が問われていたことから、受験生に対し朝鮮に関する知識があることを前提とした試験であり、朝鮮総督府やその所属官庁に就職したいと考えている受験生を採用するための試験であったということが考えられた。第二節においては文官普通試験の最終試験である、口述試験を合格した最終合格者の側面から分析した。文官普通試験が実施された1919(大正8)年から1943(昭和18)年までの期間における最終合格者の推移について、文官高等試験行政科と比較して考えると、朝鮮における文官普通試験は1919(大正8)年の開始当初から朝鮮人の最終合格者が存在し、1930年代の中ごろから、朝鮮人の最終合格者の割合のほうが日本人の割合よりも高くなっていったことから、朝鮮人にとって最終合格しやすい試験であったことが推測できた。加えて、文官普通試験最終合格者の詳細について、身分、本籍地、受験地の3つの観点から分析したところ、日本海を越えて朝鮮半島で受験した日本人も存在していたなどといったことについて推測できた。

以上のことから総合的に考えると、植民地期朝鮮における文官普通試験が持つ性格について、朝鮮総督府やその所属官庁に就職したいと考えている受験生、特に朝鮮人の受験生にとって、難関の試験である文官高等試験行政科よりも大きなチャンスが与えられていたという意味において貴重な試験であり、当時の日本人の受験生にとっては、はるばる日本海を越えて朝鮮半島で受験するほどの価値を持っていたということが考えられた。

2010.2.14


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