新潟大学人文学部

植民地期女性雑誌から見る恋愛・結婚観

志賀 裕子(新潟大学人文学部)

1919年の3・1独立運動を契機に、朝鮮植民地体制は武断政治から文化政治に転換され、朝鮮において言論・出版の取り締まりが緩和された。これにより女性雑誌が刊行され、女子教育・恋愛・結婚・職業問題など女性に関する様々な問題が取り上げられるようになった。当時、これらの女性問題の社会化に拍車をかけたのが新女性と呼ばれる人々であった。彼女らは近代教育や東京留学を通して、既存の家父長的な秩序や伝統的な男女関係に疑問を抱き、平等に根ざした新しい男女関係の構築を目指した。本論文では、これら新女性に広く影響を与えたとされる女性雑誌から当時の恋愛・結婚観について考察した。史料としては植民地期に朝鮮で出版された『新女子』、『新女性』、『新家庭』、『女性』を使用した。

第一章では、1920〜30年代の恋愛結婚観を自由主義と社会主義の観点から考察した。女性雑誌の記事は大きく自由恋愛・結婚思想者と社会主義的恋愛・結婚思想者に分けることができた。前者は、強制婚や門閥婚を否定し、個人の意思による恋愛に基づく結婚観を普及させようとした。一方、後者は社会主義のもとで男女の上下関係や女性の搾取は解放されると考えており、女性も労働することで対等な恋愛・結婚をすることを主張した。

第二章では、結婚をめぐる諸問題として離婚・早婚・儀式問題についてまとめた。離婚に関しては、女性が契約関係に固執することで夫婦関係が悪性化するという問題を指摘し、自由離婚を主張した。また、女性自身が離婚する権利を持つことを自覚するよう指摘していた。法的にも女性から離婚を請求できる権利を認めるなどの処置がなされたが、旧制度の影響で女性からは離婚しにくい状況であった。早婚に関しては、法廷婚姻年齢未満で親により強制的に結婚させられることを嘆き、その改善を訴える記事が多かった。結婚儀式は、「西洋は年収の3割、朝鮮は年収の3倍」といわれるほど派手な儀式が流行していた。それにより破綻する夫婦が増加していたため、儀式を簡略化し、実生活に見合ったものにするべきとしていた。また、儀式よりも夫婦間に愛があること、法的手続きをとることを重要視した人は儀式の廃止を訴えたりもした。

第三章では、女性雑誌の主な読者であった新女性の実際の意見をまとめた。1920年代の新女性の理想の夫としては男女同等権を認める人や、妻の意見を尊重する人という意見が多かった。しかし、1930年代に入ると、このような男女平等の意見はみられなくなった。ここから新女性の妥協を読み取った。

第四章では、女性雑誌が新女性に与えた影響をこれまでの考察事項をふまえ、新たに再考した。女性雑誌は近代的な新知識を社会に普及させ、新女性を叱咤激励する役割を果たした。また、読者の投稿欄の設立や座談会の開催など、新女性の議論の場を提供した。

以上のように、女性雑誌は読者である新女性と深く関わりながら近代的な恋愛・結婚観を主張していた。しかし、雑誌が発行されていた1920〜30年代は植民地期であると同時に近代初期であったため、実際は様々な問題があり、雑誌の主張していた近代的な恋愛・結婚観とは隔たりがあった。ゆえに、当時の恋愛・結婚観は過渡的なものであったといえる。

2010.2.19


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