新潟大学人文学部

白朗作品研究
―1936年−1940年を中心として―

佐藤 由香(新潟大学人文学部)

白朗(1912〜1994)は中国現代文学史上、東北作家の一人に数えられる作家である。本論文では、白朗が1936年-1940年に書いた抗日をテーマにした6作品(「伊瓦魯河畔」、「輪下」、「生与死」、「一個奇怪的吻」、「清償」、「老夫妻」)を扱い、これらの作品の特徴を明らかにすることを目的とした。

第二章では登場人物の死について考察した。各作品には話の最後に登場人物の死が描かれる。「伊瓦魯河畔」では抗日闘争の敵側の死が描かれるが、それ以後の作品では抗日闘争をする側の死が描かれ、「生与死」以後は話の主人公の死が描かれる。これは白朗が抗日の闘争者の死を描くことを重視するようになったからであると思われる。本章では、各作品の死んだ登場人物とその死の場面を詳しく見たことで明らかになったことを示し、さらに白朗がなぜ抗日の闘争者の死を描くことを重視するようになったのかを考察した。白朗が抗日をテーマにした作品を発表する動機は、読者に抗日意識を喚起させるためである。このことから、白朗が抗日の闘争者の死を描くことを重視するようになったのも、読者に抗日意識を喚起させる作品を作るためであると思われる。そのためには、日本人侵略者の残虐さを伝える以外にも、手本となる理想的な抗日の闘争者を作中に描く必要があり、白朗にとってはそれが抗日のために命を犠牲にする人だったのではないだろうか。当時の人々の意識では抗日のために死ぬことは光栄なことであり、壮烈な最期を遂げた人は英雄になった。そのため、白朗は抗日の闘争者の死を描くことで、読者の抗日意識を呼び起こし、抗日闘争への参加を訴えたのであろう。

第三章では黎明(夜明け)の描写について考察した。白朗の作品は自然描写が豊かであるが、その中でも黎明(夜明け)に関する描写は、話の重要なところで意図的に描かれていると思われる。白朗は日本に侵略された中国の状態を「夜」と表現していることから、黎明(夜明け)の描写は中国がいずれ日本に勝利することを暗示するように挿入されていると考えることもできる。

白朗が1936年-1940年の間に創作した作品はみな時代に影響されて、抗日がテーマである。白朗はこれらの作品に自分の愛国心と日本帝国主義に対する強い反感を込めながら、多くの抗日の闘争者を描いた。第二章の考察から、白朗は理想的な抗日の闘争者を描くことを目的としていたことが明らかになったことで、白朗の作品は主人公に理想を追い求める傾向が強いという特徴があるといえる。本論文で扱った作品から10年以上後に発表された、代表作とされる『為了幸福的明天』(1951年)は、主人公の女工が片腕を事故で失いながらも党の教育の下で模範的な共産党員に成長して工員を感化していく話であり、白朗がこの主人公の女工にも党員としての理想を追い求めていたことをうかがうことができる。

2010.2.18


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