新潟大学人文学部

阿城「棋王」について

佐藤 有美(新潟大学人文学部)

「棋王」は、阿城(1949年〜)が1984年に発表した中編小説である。1985年に発表された「樹王」と「孩子王」を合わせて「三王」と称されている。文革の悲惨さを強調することもなく、ありのままを淡々とした筆致で描いたことによって、時代の「異常さ」を際立たせ、異色作として世間に受け止められ、中国国内に加え、日本・アメリカでも高く評価された。農村などの生活の中に根づいた伝統文化及び、思想や生活の術を重視し、その中に理想を追い求める作風から、阿城は「尋根文学」作家の代表的人物と言われている。

第一章では、阿城の経歴と「棋王」のあらすじをまとめた。

第二章では、作品の中で描かれている多くの「大人」たちから、主人公と接点があり筆者が重要性を感じた6人を取り上げて、それぞれの行動や台詞から考察し、作者が伝えたかったことを探った。

「王一生の象棋を見こみ、彼と共に各地を渡り歩いた男」からは、貧しい人間はまともに象棋の世界にすら身を置くことさえできない時代の異常さが、「王一生のクラスメートの父で有名な棋士」からは、中国社会に象棋を本当に理解している人が少ないことが示されていた。「紙くず拾いの老人」からは、象棋には中国思想が秘められていて中国民族の生きる基盤を養うものだと示されていた。同時に、その基盤が失われた中で生きていくことの不安が描かれていた。「王一生の母」からは、衣食を確保するのに追われ通しで、伝統文化の必要性を最後まで知ることのできなかった、経済的に貧しい下層民の姿が、「文教書記」からは、根本的に伝統文化を守るとしない人物が見て取れた。「画家」からは、直接生活を営むことに通じないものが人間に充実感や喜びを与えていることが示されていた。

このように、作品中の「大人」たちの中国社会と伝統文化に対する態度が見え、そして、物質的な生産を追求し伝統文化が疎外された当時の中国社会が描かれていたことが明らかになった。

「棋王」では、中国社会と伝統文化に対して様々な価値観を持った「大人」たちが描かれていたのだが、主人公王一生は彼らをただ受動的に受け入れるのではなく、自分の意志を貫き、生きる上での象棋の重要性を見出している。つまり、中国の現状がどうであれ、王一生のように強く追及することで、伝統文化を掘り起こすことは可能なのだという希望が示されていると考えた。「棋王」の中であえて多くの大人を登場させたのは、以上の意図があったと捉えることが出来た。

2010.2.19


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