新潟大学人文学部

植民地期朝鮮における朝鮮人、日本人の識字率について

上田 えり子(新潟大学人文学部)

植民地期朝鮮では一般教育の普及とともに日本語教育が「帝国臣民」統合のひとつの大きな課題であった。その一方で民族運動や社会運動の側においても識字は重要な位置を占めていた。このように識字問題は朝鮮総督府の政策、そして朝鮮人の民族運動・社会運動とも高い関連性を持っていたのである。しかし、当時の朝鮮は漢文・ハングル・ひらがな・カタカナが使われる多言語多文字状況であったため、識字技能習得は非常に困難なことであった。そんな中、1930年に朝鮮国勢調査の一項目として朝鮮在住の日本人53万人・朝鮮人2,044万人に対して「読み書きの程度」調査が行われた。本稿は朝鮮国勢調査の「読み書きの程度」調査結果を全国から面まで幅広く分析を行った。それにより当時の朝鮮人・日本人の識字状況を明らかにしようとした。

第一章では、1930年朝鮮国勢調査における読み書きの程度調査の結果を分析し、全国から面別までの識字率を調べた。1930年朝鮮国勢調査の「読み書きの程度」調査は朝鮮で行われた4回の国勢調査のうち、この1度しか行われなかった。さらに調査項目の仮名とハングルの「読み」と「書き」については明確な基準はなく、記入者の基準に委ねられていたことは読み書きの程度調査の大きな欠点である。

次に読み書きの程度調査結果を全国の傾向を明らかにしてから、道別比較、府郡比較、府別比較、郡別比較、面別比較を行った。全国の傾向としては、日本人の約8割が仮名を読み書きできたのに対し、朝鮮人の約8割は文盲であるということが明らかになった。それ以降の府別比較では、釜山府の結果がB「カナのみ読み書きできる者」の項目で平均15%に対し25.4%という高い割合を出し、逆にC「ハングルのみ読み書きできる者」の項目では平均13%に対して6.1%という低い割合を出し、他府とは違う割合を出していることが明らかになった。その要因を調べるため、第二章では慶尚南道の教育状況を研究した。

まず釜山府の教育状況は日本人と朝鮮人の教育状況の違いとして学校数に大きな違いがある。朝鮮人に対しては約67校なのに対し、日本人に対しては164校と倍以上の学校が設備されている。さらに1920年代は夜学を中心とした民族教育機関が増えるが1923年には、慶尚南北道に存在した私設学術講習会383ヶ所のうち、約3割は日本語普及のために存在していたのである。これらの事実により慶尚南道では1920年代日本語教育が盛んに行われていたということがわかった。

おわりに、全ての分析を通して共通することは、日本人はカナを読み書きできる者が多く、地域によって格差がほとんどなく、男女の差もほとんどない地域が多かった。一方、朝鮮人は逆の特徴を持っており、地域でも男女間でもそれぞれの部分で、識字率の差異があった。釜山府の教育状況は日本語教育が盛んに行われており、それが結果に現れたことがわかった。

2011.2.18


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