新潟大学人文学部

光武帝による奴婢政策に関する一考察

後藤 智香(新潟大学人文学部)

両漢交替期、帝位につき全国統一を目指した光武帝は各地を平定するかたわら後漢王朝の土台を築くため数多くの政策を打ち出した。その中でも奴婢政策は民政政策として初めに着手し、その後も頻繁に実施した政策である。さらに、前漢や新の皇帝も光武帝と同様に着手していることから見ても、奴婢問題が当時重大な問題であったことがうかがえる。本論文では光武帝の建武二(26)年から建武十四(38)年にかけて行った個々の奴婢政策をその背景と共に考察していくことにより、光武帝の奴婢政策に対する意図や位置づけについて自分なりの見解を示そうと試みた。

第一章第一節では、光武帝が奴婢政策を建国当初から着手せざるをえなかった背景について考察し、後漢初期は新代における奴婢の増加に加え、依然として庶人の奴婢化がさらに深刻化する可能性を秘めていたことを確認した。第二節では漢代の奴婢と庶人の性格の違いについて確認することにより、奴婢の減少・庶人の増加がもたらす利点や光武帝の奴婢問題に対する考え方について考察した。第三節では王莽の奴婢政策が光武帝の奴婢政策へどのような影響を及ぼしたかについて考察した。

光武帝の奴婢政策は、性格上二つに区分することができる。本論文では、奴婢の解放を目的とした政策を奴婢解放政策、奴婢の非平等的な法律の改正を目的としたものを奴婢保護政策と称した。第二章第一節では、奴婢解放政策の概要と意図についてそれぞれ個別に考察を行った。奴婢解放政策は、労働力の確保や叛乱軍の軍事力軽減など目に見える意図も多く存在したが、結果的に叛乱軍に対する民心の離反を促し、「復漢」を望む民心を掌握する手立てともなっていたと指摘した。第二節では奴婢保護政策の概要と意図について考察した。漢律をもとに出した政策であることから見ても光武帝が前漢の継承者という立場を確立させ、「復漢」を求める民衆を自らに取り込もうとしたと指摘した。第三節では第一節と第二節のそれぞれの考察を踏まえ、先行研究の「豪族の抑圧」「生産力の確保」「奴婢の社会的地位の向上」という視点をもとに奴婢政策の意図について考察した。

第三章では奴婢政策が後漢王朝でどのような役割を果たしていたのかについて考察した。奴婢政策は光武帝の民政政策の一環として行われたものであり、光武帝が後漢王朝を建国していく上で必要となった労働力の獲得や人心の掌握などに役だったと指摘した。

以上、本論では奴婢問題が早急に取り組むべき問題でありながら傾国の危うさを持ち合わせたものであったことを指摘し、光武帝が奴婢問題の解決に慎重にならざるをえない状況であったことを確認することができた。また、光武帝の奴婢政策は王莽より消極的な政策であったものの、労働力の獲得や人心の掌握など後漢王朝の基盤を築く上で様々な役割を担っていたことを提示することができた。

2011.2.17


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