新潟大学人文学部

満州731部隊と日本の細菌戦

野口 真莉菜(新潟大学人文学部)

731部隊とは、1932年から日本の敗戦に至るまで、満州において細菌戦の研究、実戦を行っていた関東軍配下の部隊である。731部隊に関する研究は、設立前史から終戦後の動向まで一通り研究がなされているが、同部隊の前身となった陸軍軍医学校の設立から防疫学、細菌兵器転用への過程を詳細に追っているものはほとんど見られない。そこで本論文では陸軍軍医学校の歴史をもとに設立の背景を追うほか、組織や活動内容の実態を検討した。

第一章では伝染病や防疫学の歴史、また陸軍軍医学校の防疫研究発展の歴史をもとに、部隊設立の背景を明らかにした。医学の発展とともに19世紀末より、人為的に伝染病を流行させ、敵の戦闘力や生産力を弱める細菌戦という考えが生まれた。1870年陸軍軍医学校の創立以後、伝染病の被害状況を案じて防疫学は次第に力を入れられるようになった。防疫学が兵器へと転用されるようになった契機は、後の731部隊長石井四郎の欧米視察である。石井主幹のもと日本において細菌戦研究が開始し、その実地応用の地として満州に防疫機関を設立、731部隊が発足した。

第二章では部隊の設立に焦点を当てた。同部隊の名目上の任務は戦地における病気の予防と浄水の供給だったが、業務の大部分を占めたのが細菌兵器の実戦開発であった。細菌研究の第一部、実験・生産を担当する第二部、血清とワクチン生産を行っていた第三部、主に濾水器製造を行っていた第四部を主として成り立っていた。細菌戦の実施は、それまで戦場においては後方での救援活動しか期待されていなかった軍医および医学が、攻撃において役立つということである。部隊長石井四郎は医学を利用して軍医の地位向上を画策していたのだった。

第三章では部隊の活動について捉えた。731部隊が細菌研究において重要視していた細菌はペスト菌である。諸外国においてもペストは細菌兵器として有効であるという意見が多くあり、攻撃のためとしても自国が細菌攻撃を受けた際の自衛としても、ペスト菌研究は力を入れられた。さらに731部隊は細菌研究に必要な生体材料を入手するため、関東憲兵隊と結託していた。憲兵隊が中国国内で実験材料になる人間を捕え、731部隊に提供していたのだ。731部隊の細菌戦の準備工作は1939年には試験段階を終え、1939年から1942年の間は実戦段階となった。日本軍の中国戦線の侵攻に応じて731部隊は細菌を展開した。これに対し中国側は調査検証を行い、具体的な防疫対策も取っていたが、細菌戦の被害を食い止めることは出来なかった。

以上731部隊の設立前史からその活動内容を検討し、考察を加えた。731部隊は軍医学校から設立した部隊であり、本来人を救うための医学を兵器へと転用するという残虐性を有していたのだ。さらに731部隊がもたらしたのは人命と物質的な損害だけでない。細菌戦により地域社会のネットワークを破壊し、戦後においてもなお多くの人々を苦しめてきたのである。

2011.2.17


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