新潟大学人文学部

商鞅の変法と田制

占部 妙子(新潟大学人文学部)

商鞅は秦の孝公(在位前361-前338)に仕え、二度にわたり変法を行った。商鞅の変法についてまとまって記された史料は『史記』商君列伝である。日本では土地制度を中心として、爵制・家族制・郡県制などの諸政策に関し、深い考察がなされてきた。その一方で、変法自体の史料批判は変法研究と比べると多くはない。2000年に吉本道雅氏が「商君変法研究序説」(『史林』83-4、2000年)を発表し『史記』の商鞅関係の記述の包括的分析に基づき、商鞅変法を歴史認識として相対化しよう試みられた。本論文では、この吉本氏の論文に依拠して商鞅変法の史実性を確認した上で、商鞅の行った田制に着目し、彼の人物像の分析を試みた。

第一章では、商鞅の変法は古代中央集権国家形成の第一歩として位置づけられると同時に、変法の内容理解は多岐にわたっていることを確認した上で、商鞅の変法と田制についての先行研究を整理した。また、変法が富国強兵という目的をもってなされたものであることから、第一次、第二次変法は、それぞれの法令がお互いに補完しあう部分があり、田制は特に他の法令との関わりが多く商鞅の変法において軸となるのが田制であると推測した。

第二章では、吉本氏の論文「商鞅変法研究序説」に依拠して商鞅変法の年代、期間、内容について検討した上で商鞅変法の分類を行った。変法の内容について、吉本氏は一次変法の法令群のみならず、年代記的記述の為された制度改革ですら、商鞅の施行とは認めがたい政策も存在することから、後世の手による意図的な商鞅変法の加増・改変が見て取れると考察している。この見解を踏まえて、『史記』商君列伝の商鞅変法群を商鞅自身が行ったと思われるものと、そうでないものとに分類した結果、商鞅の変法の核をなすと考えていた阡陌制(田制)は商鞅自身の変法であることが否定された。また、商鞅が肯定、否定両方の象徴として、利用されたことが分かる。後世に伝えられた商鞅像は政治に関わる者によって、意図的に装飾されていたと言える。

本論文で、商鞅の変法と田制についての先行研究を整理した。しかし、ここで取り上げたものは先行研究のほんの一部である。変法のみならず、変法当時の秦の社会状況や商鞅が政治思想において影響を受けたであろう人物についてまとめる必要がある。また、1975年に出土された雲夢睡虎地秦簡を始めとする出土資料との比較検討を行ったうえで、史料にもとづいた緻密な商鞅の人物像分析が必要である。

2011.2.18


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