新潟大学人文学部

沈従文『辺城』研究
―水との関係に注目して

柄沢 道子(新潟大学人文学部)

沈従文(1902〜1988)は『辺城』(1934年)によって世界に名を知られる中国の作家の一人である。彼の小説には故郷湘西(湖南省西部)の辺境の美しい風物やそこに暮らす少数民族の習俗が流麗な筆致で描かれており、この濃厚な風土色は沈従文作品の最大の魅力である。本論文では、沈従文自身がしばしば「私の創作と水は切り離すことができない」と述べるなど、彼が水に対して特別な思いを抱いていることに注目し、代表作『辺城』を対象に、その舞台である河の描写に注目して読み解くことで、彼の作品において水がどのように描かれ、どのような意味を持つのかを明らかにすることを目的とした。

第一章では、沈従文の略歴と彼の文学の特徴をまとめた。

第二章では、二十歳で沈従文が北京に出るまでの幼少期や軍隊生活を描いた『従文自伝』によって、彼と河との関係を具体的に述べた。少年時代の沈従文は頻繁に水と直接的に触れ合い、自然と人間の関わり方をよく観察することで、自然や人間の営みに基づいた「知識」を河から得ていた。また軍隊に入隊した後は、河を眺めて思索にふける姿が多く描かれるようになることから、沈従文がこの頃から次第に河に「知恵」を求めるようになっていったのではないかと考えた。二十歳までの生活を常に河とともに過ごした沈従文にとって、河は最も身近な友人であり、人生の良き師のような存在であった。

第三章では、『辺城』を河の描写に注目して考察した。まず、物語における水の描写の少なさと、『辺城』を形作る強い山水のイメージとの食い違いを指摘した。そこで、読者に水のイメージをもたらす要因として考えられる河の描写を三つに分けて考察した。一つ目は生活の基盤としての河である。茶峒では経済的にも文化的にも河が重要な役割を担っており、それが当地の風土色として作品に色濃くにじみ出ている。物語の背景に舞台として存在する生活の河こそが、この作品全体を包み込む大きな河として強い存在感を示している。二つ目は、主人公翠翠の心理を投影する河である。作者は、本来なら読解の手がかりとなる主人公の心情を曖昧にし、あえて直接的に描かないことで、心理を投影する河のイメージを鮮明に浮かび上がらせている。そして三つ目は登場人物の死、及びそれを暗示する描写と結びつけて描かれる河である。『辺城』では、物語において重要な転機となる登場人物の死にことごとく水が関連付けられている。それによって水を中心に物語が展開するという印象を読者にもたらす効果を果たしているのである。

このように『辺城』には舞台としての清澄な河の描写の他に、人々の生活を包み込む大きな存在として、主人公の心理描写の代替として、あるいは物語中の印象的な出来事と結びついて描かれ、さまざまな角度から河をより強く印象付ける役割を果たしていた。さらに、これらの河はどれも作者自身の経験に基づいて描かれている。翠翠にとってそうであったように、沈従文にとっても河は最も身近な存在の一つであり、彼は河から多くの知識と知恵を得た。河と共に成長し、河のさまざまな表情をその目で見てきた沈従文だからこそ、『辺城』の作品にもこのようにいろいろな方面から写実的に河を描き出すことができたのである。

2012.3.5


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