新潟大学人文学部

『荘子』研究
―外見的に異常な登場者に関する一考察―

毛利 真大(新潟大学人文学部)

『荘子』は哲学書であると同時に優れた文学書としても読まれてきた。それは、数多くの登場人物が描かれていることが理由の一つであろう。なかでも特徴的な例として、しばしば外見的に異常な人間、すなわち不具者が登場することを挙げることができる。これらの登場者は、『荘子』において一様に優れた評価を付与されているから、明確な作者の意図をもって登場させられたと考えられる。したがって、本論文ではこの点に関して詳細に検討を加え、作者が彼らを通して読者に伝えるメッセージとは何か考察する。 第一章では、外見的に異常な人間を取りあげ、その異常が先天的な要因によるものと後天的な要因によるものとに分類して考察をした。

第二章では、外見的に異常な動植物についての考察を行い、「無用の用」の思想を仮託された登場者であるとの結論を導いた。ここで、第一章の人間、第二章の動植物に共通することとして、外見的に異常な登場者とともに必ず他者の視点が描かれていることをも指摘した。そして、他者が世俗的な視点を持っており、異常な登場者が非世俗的な視点から、それを否定し解消するという対比構造があることを論じた。 第三章では、まず『荘子』の寓話の特徴を分析し、次に寓話という表現手法がなぜ『荘子』に特徴的なのかを論じた。すなわち、万物を一つに貫く絶対的な原理を道に見出し、人知に基づく相対的概念を一切認めない『荘子』の思想にあっては、道の体得の境地は言語によって表出すること、直接的に顕示することは不可能であった。したがって、『荘子』の理想とする人格者は、みな仮想空間に描かれたいわば神話的な描写でしか存在し得なかったのである。しかし、『荘子』はあくまで言語によって、その思想を伝えるべく、外見的に異常な登場者に『荘子』思想の体得を託け、寓話という手法によって仮想空間から現実世界への転換をおこなったのであった。現実に生きる人間と同空間に、可視的な形態をもって、異常な登場者を登場させるのである。現世に生きる他者と対面し、対話することによって、『荘子』が理想とする現実離れした世界を現実世界に還元する必要があった。そのためには、寓話のなかに世俗の視点と非世俗の視点の対比構造を展開することが必要不可欠であったのである。

そしてそこには、『荘子』特有の逆転の論理がはたらいていて、世俗の価値観を認めず否定することで自らの世界を逆説的に浮き上がらせるという方法が用いられているのである。彼らの外見の異常さは、世俗の視点があるからはじめて異常とみなされるのであって、それさえ忘却すれば、たちまち異常は消滅し解消され、『荘子』思想の体得に昇華されるという究極の対偶をも有していたということができる。

2011.9.2


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