新潟大学人文学部

開城工業団地をめぐる南北関係

田辺 亮太(新潟大学人文学部)

1998年、韓国の現代峨山と北朝鮮の民族経済協力連合会とが南北工業団地の共同開発に合意した。この開城工業団地(開城工団)開発の構想は、施行を担当する現代峨山と設計・管理を担当する韓国土地公社とが、北朝鮮から総敷地面積延べ66㎢の50年間の租借の認可を受け、うち約30㎢は工業団地として造成、残りを住宅都市として建設するというものであった。それから現在に至るまで、開城工団は拡大しながら操業が続けられてきた。しかし、南北融和の象徴とも言うことのできるその開城工団は、朝鮮半島の情勢の影響をしばしば受けざるを得なかった。朝鮮半島の情勢変化に伴い、開城工団は政治的思惑に利用されるなど、それは単に南北融和の象徴というだけでなく、双方にとってさまざまな影響力を持ち、また、生産の拡大とともにその役割の重要性も高まっていったように思われる。本稿では、開城工業団地の南北朝鮮における役割とその変化に注目し、南北情勢の変動に伴い、南北の政治・経済・社会に対していかに影響され、またいかに影響を及ぼしたのか、そしてどのように南北関係のなかでその役割を変えていったのかについて考察を試みた。

第1章では、開城工団が南北間において重要性を拡大していく過程を、開城工団における生産額、韓国人の開城工団への訪問者数(観光客を除く)、労働者の推移、そして開城工団の入居韓国企業数の推移といったデータから考察した。また、開城工団が拡大していく背景に存在する南北双方の政策や動向を明らかにした。韓国側においては、具体的に、南北間に生じたさまざまな事態を受けた開城工団入居企業の動向、そしてそれに対する韓国政府の措置について明らかにした。 第2章では、新聞報道から、拡大していくにつれ、期待から批判へと韓国世論の認識を変化させていく開城工団の南北関係における役割の変化について考察を行った。

以上の考察から、開城工団の南北関係における重要性の拡大課程とその要因、そして影響を明らかにすることができた。開城工団事業は企業の進出の中止や撤退の危機が発生しても、韓国政府の積極的な企業支援やインフラ整備、そして北朝鮮の労働者増員により拡大を続けた。当初は、南北関係において平和交流の柱として、また、韓国中小企業の再生への突破口として登場した開城工業団地事業であったが、事業が拡大していくに連れて、韓国世論を工業団地への批判とともに北朝鮮への態度悪化の方向へ導くようになる。南北関係に影響を及ぼすようになったのである。それは、開城工団の南北関係における重要性が高まっていたからであるといえよう。「平和交流の柱」は、重要性が高まるにつれ、南北関係に影響を及ぼし、主に悪化させる「変動要因」に、意義が変化してしまったと言うことができるだろう。

また、開城工業団地の拡大に伴い、北朝鮮にとっての事業の重要性も拡大することになった。北朝鮮が起こした南北関係を揺るがせる問題によって、開城工業団地は拡大していくことになったのである。北朝鮮は南北関係を悪化させる事態を起こした際の韓国側の企業への支援強化やインフラ拡充による開城工団事業推進という対応措置を先読みし、韓国側に挑発的な行動をとったと推測することができるのではないだろうか。

2012.3.5


2011年度卒論タイトル Index