新潟大学人文学部卒論(アジア文化履修コース)

三・一独立運動における民族代表について

近藤 陽佳(新潟大学人文学部)

1919年の三・一独立運動は、朝鮮において近代的民族主義運動の原点となった事件である。本論文では、独立宣言書に名を連ねた天道教の孫秉煕、基督教の李昇薫、仏教の韓龍雲ら民族代表33人及び関係者に焦点を当て、三・一独立運動の準備期(1918年11月〜1919年2月)に着目して彼らの動向を掴み、民族代表が三・一独立運動にどのような影響を与えたのかについて考察した。

第一章では三・一独立運動を大きな転換期として、武断統治時代と文化統治時代の二区分に分けた節立てを行い、朝鮮軍司令官の三・一運動日次報告や京畿道の朝鮮憲兵隊長報告書、陸軍大将宇都宮太郎の手記を取り上げて、当時の朝鮮国内の情勢について明らかにした。武断統治の基軸となった憲兵警察制度は民族運動鎮圧の主力を担い、それに抵抗を示した朝鮮民衆は植民地解放を目指して三・一独立運動に加わった。その結果、表面的な緩和政策は打ち出されたものの、実際は警察官の増員、朝鮮人の官吏登用は極一部、新聞・雑誌は度々押収や発行禁止などの処分を受けていたことが分かった。

第二章では、民族代表に焦点を当て、三・一独立運動関係者に対して行われた訊問調書や裁判記録を基に、三・一独立運動の指導者的印象が強い天道教幹部や基督教側の代表者、また宣言書作成に携わったとみられている崔南善など特定の人物を取り上げ、彼らの発言に着目しながら独立意識や役割、人物関係について検討した。天道教幹部の孫秉煕を例に挙げると、学生たちが企図した独立運動について、騒擾が禍となって平和的に朝鮮の国権回復を達成できない恐れがあると懸念していたこと、運動の大衆化を成し遂げた学生たちとの関連を強く否認していたことが訊問調書から読み取れた。

以上三・一独立運動における民族代表の動向と朝鮮国内の状況について検討し、考察を行った。運動当初は宗教人や知識人、学生らが運動の主力を担っていたが、次第にその主導権を日本による収奪の被害を最も被った労働者や農民へと移し、ついには警察署や官公庁への襲撃を伴う武装闘争へと発展した。三・一独立運動は日本側の失政に対する世論を如実に反映した動きと言えるだろう。また、本論文で挙げた天道教幹部たちは、みな朝鮮独立を達成するために試行錯誤を重ねていたという共通性が見受けられた。当時の日本に対する朝鮮民衆の反抗心の高まりを考慮すると、彼らは独立に向けて立ち上がった先駆者という点において一定の評価を与えることができるだろう。

2013.2.12


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