新潟大学人文学部卒論(アジア文化履修コース)

工部局下水道整備からみる上海租界の都市形成

谷口 青佑(新潟大学人文学部)

近代上海の出発はイギリスをはじめとする列強各国が上海に租界を開設したことにある。租界を通して近代技術・文化が浸透し、上海は近代都市へと変貌を遂げた。その都市形成の大部分を担ったのはイギリス租界の工部局という組織であるが、その研究のほとんどは道路を中心とした視覚的都市展開に依るものが多い。本稿では工部局が行った下水道整備、水道事業の展開に焦点をあて、それらが上海租界の都市形成にどのような影響を及ぼしたか検討した。 第一章では、イギリスをはじめとする列強各国の租界設置から、「土地章程」をもって租界における行政権拡大に至るまでの歴史的流れを概観した。

第二章では、租界の土地開発を行った工部局の概要を、「土地章程」「共同租界工部局規則」を基に考察した。工部局は道路埠頭委員会を前身とする行政執行機関であり、主に租界内における道路や埠頭、上下水道の計画・建設・管理を行っていた。その職務範囲は租界の拡大・人口増加に伴い拡大していった。工部局が開発した租界の主要交通は「馬路」と呼ばれる陸路であり、それまでの上海県城を中心とする水路を使用した交通・輸送のネットワークを破壊するこの「馬路」こそが、租界=近代都市というシンボルになる。

第三章では、「共同租界工部局規則」を基に工部局の道路・下水道開発について考察した。租界内の道路開発における工部局の権限は多大であり、開発予定地に該当する借地人は障害物の撤去、また状況に応じて土地の提供が強制された。下水道整備に関してもこれらが該当しており、道路開発と同様に工部局によって強引に行われたことが確認できた。その背景には、工部局が財政難であったこと、借地人が生活環境の改善を急いだことが挙げられる。 第四章では、租界の拡張について地域的拡張を四期、越界路による線の拡張を三期に分け考察した。特に越界路拡張の第二期は、1899年の租界拡張から辛亥革命の勃発、清朝没落に至った期間であるため、地域的拡張が以前のような成果を上げることできず、越界路の重要性が増した時期である。租界側は越界路における課税権を得るため、「上海自来水公司」を通して租界外に給水を開始した。これにより、名目上は水道費の一部として、越界路付近の居住者から間接的に徴税することが可能となったのである。また一方で、水道事業を通した課税は越界路地域を維持管理するための貴重な資金源となっていた。

以上、本論文ではこのように下水道整備、水道業が上海租界の近代化、都市形成に深く関わっていたことが確認できた。道路整備が都市形成の大部分を担うとすれば、その後を追うように整備された下水道にも同じような意味合いをみることができる。また、租界の拡張に関して越界路が持つ影響力の大きさから、水道事業と都市形成との関連性は深いといえる。

2013.2.12


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