新潟大学人文学部卒論(アジア文化履修コース)

劉向『列女伝』とその背景について

臼井 志穂(新潟大学人文学部)

『列女伝』は母儀伝・賢明伝・仁智伝・貞順伝・節義伝・辯通伝・孼嬖伝の全7巻から成り、合わせて104話が収録されている。主人公は全て女性で、歴史上有名な人物、もしくはその縁者が主人公となっている一方で、名もない人物が主人公となっている場合もある。

この女性のみを主人公とした書物の撰者こそ、前漢末期を生きた学者・劉向であった。劉向はその名が示す通り、前漢王朝の皇帝一族の一員である。学者としての能力を買われ、側近として宣帝・元帝・成帝の3人に仕えた。しかしその人生は順風満帆とは言い難く、投獄や朝廷からの追放といった不遇の時代も経験している。劉向が『列女伝』を著したのは成帝に仕えていたころと伝えられる。当時は外戚の王氏一族が政権を握り、成帝は何の力も持たない、ただ名ばかりの存在となっていた。そして空虚な生活を送る成帝は女性に溺れ、前漢王朝の乱れに拍車を掛けたのであった。

本稿では『列女伝』の構成やその内容を分析し、劉向のどのようなメッセージが込められているのかを読み解くことに尽力した。また、その人物像に迫った上で『列女伝』執筆の動機が果たして皇帝や世情に対する戒めが目的であったのか、明らかにしようと試みた。

第一章では『列女伝』そのものについて考察した。話の形式は全話にわたり、ほぼ統一されている。またその内容も一見、独立しているように思えるが、実は根底部分に繋がりがあることが分かった。そこには決してぶれることのない劉向の強い意志と読者との気持ちの共有を望んでいる姿が垣間見えた。だからこそ、読者を飽きさせないための工夫や訴えかける姿勢が、『列女伝』から感じられるのである。

第二章では劉向の主張について、その生涯や他の著作との関連を交えながら考察した。『列女伝』に分かり易く、自分の主張を書かなかったのは、元帝期に奉った上奏文が匿名であったにも係わらず、劉向であると発覚した経験が主な理由のように思われる。もちろん、直接自分の主張をそのまま書いたのでは、書物自体が稚拙に見えてしまう可能性もあったからであろう。そこには劉向の幼いころより培われた自尊心の強さが垣間見える。

『列女伝』が誕生したと思われる時期、政治の実権を握っていたのは外戚であった。名ばかりの皇帝となった成帝は、次第に女色に溺れていく。そして許皇后を廃し、舞妓出身であった趙飛燕・合徳の姉妹を寵愛したのである。外戚が一世を風靡し、その傍で情事にふける成帝の様子を劉向は見ていた。前漢王朝の始祖たる劉氏一族の血を引き、なおかつ好学の一家において、幼いころより宮廷に出仕していた劉向自身は政治の中心にいない。それにも係わらず、外部の人間が権力を握っている様子を見て、良い気持ちはしなかっただろう。また、成帝に節度がないことはもちろんだが、彼を誘惑した女性たちを憎む気持ちも少なからずあったに違いない。外戚と趙姉妹、つまり女性とは劉向にとって諸悪の根源に他ならなかった。そんな劉向の女性への嫌悪感が、『列女伝』の中で最大限に表現されているのが、巻7の孼嬖伝であろう。男性やその周辺の人々、ときには女性自身までをも巻き込み、破滅していくその姿は劉向が予見していた前漢王朝の姿そのものであった。

『列女伝』誕生の背景には劉向の自己顕示欲と女性への嫌悪感が少なからずあったのではないかと考える次第である。

2013.2.12


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